冬は雨降り・・夏は素晴らしき・・住めば都

チャー助です。
カナダ・バンクーバーに移住して18年ほど。生活・子育て・日本について思うこと等を綴ります。

衝撃的なできごと

2013年10月28日 | 生活
タイトルどおり、とてもショッキングな場面に遭遇した。

日曜日の朝、私は犬の散歩をしていた。うちのタウンハウスとその隣の小学校のあいだにある道をよく通っているのだが、今日もそこをうらうらと歩いていた。
前方には、中型犬とその飼い主がいる。この人は前にも散歩で見かけたことはあり近所に住んでいるらしいことは分かっていたが、特に話をしたことはない。

飼い主さんはボールを学校のグラウンドのほうへポーンと放り投げた。いつもやっている遊びらしい。
うちの犬はボールを投げたってまったく興味がなくて「ん?なに?」とこっちをきょとんと見ているような犬なので、「ボール遊びができて楽しそうだなあ」なんてことを考えながら、歩いていった。

だんだんとその犬が向かったグラウンドのほうへ私が近づいていったら、犬が倒れているではないか。
最初は離れたところからなのでよく見えず、犬が地面にはいつくばってボールをかみかみして遊んでるのかな?と思ったが近づくにつれ、横倒れになっているのが分かった。
飼い主さんが犬を呼ぶ声が聞こえ、犬は「くおーん」というようなうめき声を1つ上げた。
飼い主さんが大急ぎで近づいていって犬を見ている様子から、何が起きたのか分からないけど、ただ事ではないということが感ぜられた。

それでグラウンドのほうへ向かっていって「大丈夫?どうしたの?」と聞くと、「わからない、犬が突然倒れて・・・」と声を詰まらせる飼い主さん。
犬はぶるぶるっと体を痙攣させたかと思うとぱたっと動かなくなった。
飼い主さんは自分は救急隊員であるといい、「もうだめだと思う・・・」といいながら、心臓をマッサージしようとしていたりしていた。
もう犬はぐったりとしている。
「13歳だったんだ・・」と飼い主さん。
「誰かに連絡する?」と聞くと「妻は出かけていてきっと今は電話に出られない・・」という。
「車はないの?」と聞くと、「今日は車はないんだ」というので「私が運転して、病院とかどっか連れて行こうか?」と聞いてみたけど、飼い主さんは首を振って「もう・・だめだと思うから・・」と涙を流して言う。
私まで一緒に泣けちゃったよ・・・

そして飼い主さんは犬を抱き上げて「家につれて帰るよ、どうもありがとう」と去っていった。
私には何もできなかった。

犬もこんな風に突然死してしまうことがあるのか・・おそらく高齢でもあるから心臓発作とかだったのかもしれない。でも、ほんの数分前にはボールを追っかけて元気に走っていた姿を見たばかりなのに。
飼い主さんだってひどくショックを受けただろう。
年齢的に寿命だった、と考えることもできるし、長患いで苦しんだ後になくなったというのでもないのも救われる気もするが、ちょっと前まで元気にしてた犬がいきなりいなくなってしまうというのも、ほんとうにつらいだろうと思う。

ペットは多くの場合自分たちよりも先に逝ってしまう。
どんな形でその命が消えていくか様々だけど、いままでそこにいた大切な家族の一員がいなくなることは、想像するだけでも悲しくなってくる。
そしてその悲しみは時が癒してくれるのを待つしかない。
たかだか犬、というなかれ、私も自分の犬がいなくなってしまうときがいつか来るのを考えるとやりきれなくなる。あの飼い主さんにもいつか時が悲しみを癒してくれるのを祈るばかりである。

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カナダの某地方都市で、叫ぶ

2013年10月22日 | 生活
今回は、なんかネガティブで、人のこと悪くいったりしていて、あまり気持ちのいいブログになってません。
でも、
いきなり、叫ばせていただきます。

「あの上司がきらいだーーーーーーーー!!!!!」

上司とは私が仕事をしている会社の唯一の日本人である。会社でとても偉い地位にある人である。
私の仕事はこの方関連の仕事がほとんどである。
この方がサイドビジネス的にやっていることを手伝うのが主な目的?な感じで雇われているポジションである。
「もうねー、これ(↑サイドビジネス的なこと。ビジネスとは直接関係がないボランティアっぽいかんじ)、やっている他の人たち、わかっていないとかやる気がないとかなのよね・・・もう、やめちゃおうかしらって思うこともあるわよ」とこの方は語る。
「じゃあもう、やめちゃえばー?」って私は心の中で思う。
やめたら私の仕事の大半も消滅、つまりクビになるけど、それでもいいかも~~とかおもったりする。

入社して1週間とちょっと。
毎日のようにこの上司にへこまされている。
「ちくしょー、こいつ、嫌いだ!」と心の中で黒い感情が渦巻く。
何で嫌いかっていうと、この人と話しているとネガティブな感情しか生まれてこないからだ。
人の悪口が多い、
前に働いていた人の問題点をやたら話す、
そしてそうした人たちよりも私のほうがとんでもないミスをすると糾弾する、
前にいた人でお気に入りが何人かいたらしいが、その人たちのことをなにかにつけては「あの人たちはほんとに良かったのよ・・・」という、
人格的な点を否定するようなことを平気で言う、
私に当たることでストレス解消しているとしか思えない発言が多い、
などなど・・・

まあ私もよくもこんなに羅列できたもんだ、人のことは言えない・・・って思うけど。
ともかく仕事がある日は、仕事中、仕事が終わるころ、などなど、まあしょっちゅうってことですが「こいつ、嫌いだぜーーーーーー!!!!」と心の中で叫ぶ。
なんだか不健康ですね。

でも仕事にいってるんであって、この方と個人的に仲良くなろうと思っているわけではない。
そのうちにこの方が私を使えないと判断してクビにでもしない限り、私から辞める予定はない。
仕事だからねー、割り切れば、何とかなるような気がする。

それでも、この方が上に立って20年以上もこの会社はやってきている。それなりにいい上司である面もあるんだろうと思う。
きっと私だけが日本人だから余計にいいたいことをいいまくっているんだろうなぁ、と思う。
きっとカナダ人のほかの従業員にはここまでは言わないだろう。
なんだかんだいって、日本にいようと海外にいようと、外国人にはやさしくなっちゃうのが日本人、なのですね・・・



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お仕事始めました

2013年10月18日 | 生活
最近、仕事に出るようになった。
それもいきなり採用決定、いきなり出社、というようなスピードで決まってしまった。
これは私が優秀だから♪ってわけではもちろんない。
大体こんなに簡単に決まるなんていうのには、問題ありのサイン。

はいってみると、どうも人の入れ代わりがやたら激しかったポジションらしく、「また新しいのが来た」的な対応をされた。
よっぽど誰かしらを入れたかったんだろうなぁ。

前任者、というのがすでにいないので私に仕事を引き継いでくれる人がいない。物事によって、これはだれそれに、あれは誰にと聞く人が違ったり、誰に聞いたらいいのか分からないことがあったり、私の仕事の全貌が明確に分からない、とか、不安な要素満載!
ノートにいろいろ書いてあるからそれを参考にして!といわれて見てみるも、マニュアルといった役に立つものではなく、歴代の担当者が言われたこと気がついたことを書き連ねていった覚書とかメモといった様子のものだった。
ランダムに書かれているから、必要なことが見つからない・・・
これを参考にしろといわれても。
しかもそれを読んでれば分かるはずだから!といわれるので、どうしたらいいんだか?

おまけに上の人(この方が唯一の日本人、日本語だからこそガンガンいってくるんだろうけど・・・めいわく・・)に、
理解力がないんじゃないの?
ぼけてんじゃないの?
こんな間違いは今まで誰もしたことがないわよ!(今までいた人の悪い点をずらずらずらずらとあげ連ねてこんなひどい人がいたのよ!!と私にグチって、そんな人たちでもこんな間違いをしたことはないわよ!と言われたのでムッとした)、
「えーとですね」とか言うんじゃないわよ!
あなた口先だけで謝っているんじゃないの?
常識ってものがないの?などなどなどなど・・・
まあよくもこんなにいっぱい言えるよなぁ、と思うほど言ってくる。
こんな風にしてストレス解消しているのだろうか。

確かに間違いをしてしまったのは私で申し訳ないと思っている。言い訳させてもらうと入って3日目のことでまだ要領を得ていなかったせいでもある。
ちなみにビジネスに損失を出した、顧客に迷惑をかけたという間違いではない。なんというか、この上司のサイドビジネス(ボランティア的業務)でのことである。だから間違っていい訳ではない。ただ、このことでここまでコテンパに言われるのが不思議なのである。
それだけこの人がこの業務を大切に考えているんだということはわかるが。(ちなみに私にはどうしてそこまで大切にしなくてはならないのかが理解できないが、それはNone of my business ってやつですね)

まあ、散々言われても私としては平に謝り(別に口先で謝っているわけでなく本心から申し訳なく思っている)、以後気をつけるしかない。
こうやってこの業務に関しては痛い思いをしながら学ぶしかないようだ。
ほかにも私が受け持つ業務はあるらしい、いまだ全貌が見えていない・・・それが不安である。

さて、いつまでもつか?!いきなりクビになったり、そんなことだってあり得る、ちょっとスリリング・・?(←ヤケ気味)
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お金持ち

2013年10月12日 | 生活
テレビで新富裕層なる人々についての番組を見た。
資産がいくら以上の人がそのカテゴリーに入るとかいう説明もあったのだが、いくらか忘れてしまった。
自分には関係のない桁数の数なんで・・・
こうした新富裕層の人たちは、IT産業や投資業務などで財を成した人たちがほとんどらしい。
確かに現代においては製造業なんかで一代で財をなすってのは無理な話だろう。

そういう人たちが稼いだお金をいかに無駄に使わずにためこんでいくか、そして、税金として納めて貰いたい国としては国外へ流出する富裕層のお金を食い止めるという攻防が描かれる。

海外から富裕層が移り住む傾向が高まっている国のひとつにシンガポールがあるそうな。ここでは国の政策として、税率を低くするなどと行った優遇措置を取ることによって、富裕層を呼び込もうとしているようである。
税金という形で国の収入になるのはもちろん、そうした富裕層がもたらすビジネスがシンガポール国内で雇用を生み出していくことを期待しているようだ。

アメリカはレーガン、ブッシュ大統領辺りが景気回復のために規制緩和などを推し進め、富裕層にも税をたくさん納めろ~とは強制しなかった。
そのため貧富の差が拡大した、ともいえるかも。
政権が民主党に移りオバマ大統領は、もっと富裕層からお金をもらわねば!という政策に転じていった。
国のために、お金持ちは税金という形で払って貢献してもらいたい、という愛国心を刺激して払ってもらおうという魂胆らしい。

私なぞ貧民なので、「お金持ちはそれなりに税率を上げてもっと払ってもらえばいいじゃん」などと思う。
私だって相応に税金は払っている。ただ収入は少ないので払う金額は確かに少ない。
この番組で、アメリカの新富裕層の一人が、プエルトリコに移住することにした話があった。
この国でもこうしたお金持ちの人に低い税率で誘って移住してもらうような動きがあるらしい。
このアメリカ人は実にストレートで、分かりやすく、正直でよろしい。投資業務で財を成しているこの人は、
「これで私たちの手元に残るお金は倍くらいになるだろう。嬉しいですね」
「自分はたくさん働いている。これだけ一生懸命働いている自分が、どうして働きもしない人々のためにお金を出さなくてはならないのか」
という。
確かにその通りだなーと妙に納得してしまう。
一生懸命働いても税としてごっそり持っていかれてしまうのはやっぱり虚しいだろう。
働かない人たちというのは、失業しているとか無職で生活保護を受けているような人たちだろう。障害があるなど思うように働けない人ももちろん多数だが、実際のところ、働こうと思えば働けるでしょというような人があれこれ理由をつけて働かず生活保護を受けるというケースもあるようだ。
アメリカ人の企業トップなどはものすごくハードワーカーだと聞く。お金もたくさんもらうがそれだけの仕事もこなしているのだろう。
そういう一生懸命働く人が、働かない人の分まで働いているのは「やってられっかーー!」と感じるのも無理ないかもしれない。

カナダも生活保護はなかなか手厚いようである。うちのだんな曰く、「生活保護貰っている人のほうがうちよりお金もらっているかも」とか。ホントかどうかはよく分からんが。ただ彼の信条の一つは生活保護をもらわない生活をする(つまり、最低限レベルであっても自分で働いて生活を成り立たせる)こと、だそうだ。

お金持ちの人というのはやはりお金がない人とは考え方が違う。
お金持ちになる考え方というものがあって、きっとそういう考え方、とか物事の捉え方ができる人がお金持ちになれるんだろうな。
ハウツー本をいくら読んでもセンスがなければ身につくことはない、というようななんか違いあるんだろう。
お金があったらあったでそれをどう残すか、どう財産を守るか、大変だろうなあとも思う。
いいのか悪いのか・・・??
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全然勉強しない週

2013年10月10日 | 子ども・家族
来週月曜日は、サンクスギビング(感謝祭)で祝日である。
日本の体育の日のように、10月の第2週月曜日となっているため、毎年日が違う。蛇足ですが、私の誕生日はこの周辺にあり、サンクスギビングと重なることもある(つまり日本の体育の日とも重なる年もあるってこと)
アメリカより、1ヵ月半ほど早いカナダのサンクスギビング。それはカナダのほうが北にあり寒いから収穫祭も早くやらねばならないから、と聞いたことがある。

娘はその3連休明け、火曜日から木曜日までキャンプに行く。キャンプといってもテントではなく部屋があてがわれベッドもある(といってもフレームだけらしい・・なので寝袋必携)。だから寒いことはないだろう。
トイレも汚くはないだろう(使う人のモラルにもよるが)
キャンプと言っても、ランチという(日本語訳では牧場など)となっている場所に行くので、いわゆるキャンプ場とは違う。
ここでは食事を作るスタッフがいて、結構美味しいという評判でもある。
実は、娘が通っていた小学校では6年生の秋にこの場所にやはり2泊3日のキャンプにいく。それから2年たって、「また行くんだ?」という感じ。
しかし、乗馬やロッククライミング、アーチェリーなどアクティビティがたくさんあるのでとても楽しいらしい。
だから今回も娘は楽しみにしている。
そして来年は息子も行くことになると思うので、やっぱり楽しみにしているようだ。

娘は8年生だが、学校では選択授業は2種類、バンド(吹奏楽)とアートである。娘はバンドを選択。7年生の時からやっているクラリネットをそのまま続けている。
このバンドを選択している生徒を対象に、今回のキャンプが組まれた。あと2校のセカンダリースクールからも生徒が来る。全員参加ではなくて希望者のみ。
ということは、バンドを取っていない、とか、希望しない人は、当然通常通り学校に行く。
学校は通常通りあるのだから。となると、キャンプにいく生徒は自分で科目ごとの先生のところに了承のサインを貰ったり、休んだ分のキャッチアップが必要なら自己責任でやっておかなくてはならないらしい。

「3日間、遊んでくるんだー。勉強しなくて大丈夫なの?」なんて私は思うが、本人は別に気にしていない。
さらに、帰ってきた翌日、金曜日はサイエンス・ワールドに遠足だという。
これは8年生全員が対象なので、授業を休むということにはならないが。
ということは、娘はこの週はまったく勉強をしないってことかー。

連休前の木曜日と金曜日は、先生と保護者の面談ってことで学校が早く終わる。木曜日なんて午前中で終了だ。
息子はそれを聞いて「ずるい!」とひとり憤慨している。
といっても仕方ないことだ。
私に八つ当たりしないで欲しい・・・・
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映画「そして父になる」をみてきました

2013年10月06日 | 生活
バンクーバー国際映画祭は9月の終わりから10月はじめにかけて開催される。今回、大好きな福山雅治さんが主演の映画とあっては見に行かなくては!と意気込んでいた。仕事関連の知り合いの方も見に行こうかな、と言っていたので一緒に行きましょう~とお誘いしていってきた。
それにしてもこの映画、カンヌで審査委員賞を取ったり、他にもスペインや、ニューヨークや韓国で国際映画祭に出品されているというが、バンクーバーでも上映されるよ・・という記事にはお目にかかってない。
そう、そんなもんなのよ、バンクーバー。どうせ田舎町だし、豊かな自然しか誇るものがないし、ここで上映されたからってたいしたことないよね。

劇場についたら外に行列が出来ている。おおー、さすが。(しかし、映画が終わって出てみたら次の映画の行列はもっとすごかった・・・)
ともかく600名入るという劇場はほぼ満席、入りはやはり悪くはないと思う。
列に並んでいた時に、係りの人が注意事項などをいいながら何回か通っていく。そのとき「ティッシュのご用意はいいですか?日本のメディアによるととても泣ける映画だと評判です。ティッシュを持ってない人は周りの人に貰ったほうがいいですよ~~」などと言っていた。
私も一応、ハンドタオルやらティッシュやら持ってきた。ところが、号泣とはとてもいかなかった。ちょっと目がうるっとしたくらい。号泣したという人もいるというがどの点に反応してのことなんだろうか・・・・??

ちなみに劇場の観客の反応は、笑いも結構起っていたが、終わった後の拍手の感じからしては反応はすごく良かったとまではいかなかったかな。
カンヌでは10分もスタンディングオベーションなんて報道されていたけど、バンクーバーの観客にはそこまで受けなかったようである。

号泣はしなかったがいい映画だとは思った。淡々として、だれもが感情を大爆発することもなく、終わり方もはっきりとした結論はなく余韻を残す。
あらすじは、エリートサラリーマンの家庭の子供と、地方のしがない電気店の家庭の子供が産院で取り違えられていたことが発覚。子供を交換するのかどうか悩む中、少しずつ慣らしながら、最終的には交換することになる。が、やはり育てられた環境に子供は戻りたい・・・・
最後は、結局交換したままにするのかはっきりは分からない。観客が自分で想像するしかない。私は、交換はやめてそれぞれ育ての親のほうに戻り、この両家庭はそれからも交流を続けていく、という感じかなぁ、と考えた。

なんといっても子役がよい。切ない気持ちにさせられたり、無邪気な演技(というか自然な動きなのかもしれない)に微笑ましい気持ちになったり。そしてお母さん役2人が良い。
やっぱり自分が母であるから、母親の気持ちにどうしてもリンクしてしまう。

この映画は、鼻持ちならないエリートサラリーマンが、父親として子供と向き合うこと、父親となることの意味、を少しずつ学んでいく物語だと思った。主人公は嫌なやつってことで描かれていたが、「こういう人ってたくさんいそうじゃん」という程度にしか思えなかったが。もう一方の家庭の父親は仕事熱心ではないが子供とたくさん遊んでくれる大らかな人。多くの人は理想的と思うのかもしれない。たしかに子供思いである点ははとても良い。ただ、「もっと仕事しろよ・・」と思ってしまうだらだら男を夫に持っているわが身には、あまりうらやましくもない。

常々、私は父性というものはどのように育っていくものか、と考えていた。母性に関しては自分の経験だけからでしか判断できないとはいえ、大体想像がつく。なんといっても母親は9ヶ月もの間、お腹の中に他の生命体(?)を育てていくのだから、母となる心構えの準備期間が長い。
父親は一方、生まれてから父性を育てていくのかな。自分が産んでないから本当に自分の子か?という疑問だって浮かぶこともあるかもしれない。それを信じさせてくれるものが「血」というものだと思う。
血がつながっているから子供として愛せる、自分と似ているところがあるから親子だなぁ、と感じる、それはもちろん母親も感じることではあるけれど、父親はそこにしか父性の元を培養できないかもしれない。
だから、この映画で「育ててきた子供よりも血のつながった本当のわが子」というほうが大切という判断の元、子供を交換することになるんだろう。

この「血」というものにこだわるところは日本的な気がする。もちろんこちらでもそれはある。ただ、離婚も多く生みの親と育ての親がいたり、親の離婚再婚で母、または父が2人いるという子も多いし、養子制度もあるから育ての親という存在も多い。そんな中で「血」とかこだわる必要があまりないのではと思う。(でもヨーロッパあたりだとまた違うのかなあ・・結構「血」とかこだわるかも?)
ハリウッドでリメークもされるという話らしいが、この淡々とした作りではアメリカ人には受けないのでは?もう少し事件を起こして、出演者も感情的になったり、気持ちの変化がはっきりとわかるような演出をしないとだめかも。

気になったのは、エリートサラリーマンの家庭が「家庭としてつまらないじゃん!」という描かれ方をしていたこと。対する電気店家族は仲もよくざっくばらんで賑やかで楽しそう。それによって、主人公が家庭を顧みなかったこと、独りよがりで自分が常に正しいと思っていることや、他人に対して厳しい自分を少しずつ変えていくきっかけになっていく流れになるんだろうけど。電気店家族は人間味溢れる対照的な存在なんだけど、まあ、家庭としてロールモデルとまではいかない。けど、とっても素晴らしい家族のように映ってしまうのは、対照的なさびしい家庭であるエリート家族の存在があるから。

子供を交換してみて、6年間育ててきた息子(他人の子供ではあったが)がどれだけ自分にとって大切な存在であったかに気づかされる。そして本当の意味での父となる、第一のステップとなっていく。
子供は親のことが大好きで親の期待に応えようと頑張る。親も無条件に自分の子供は可愛い。血のつながりを感じて「親子だなぁ」と再確認して嬉しくなることももちろんあるが、親子のつながりは血のつながりだけではなくて、育てられていろんな思い出を共有して、絆が深まっていくというものだろう。家族というものは作り上げていく側面もあるのだ。

ただ、もしも自分の子供がほかの子と取り違えられていたらどうなるだろう?と考えてみると、答えは簡単に出そうにない。この映画の最後がはっきりとどうなったかを伝えていないことも「もしあなたの子供が取り違えられていたらどうしますか」という問いにスパッと答えられない人が多いだろうことをあらわしている、とも思う。


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怖いもの・・日本と外国の違い

2013年10月03日 | 生活
外国の、なんて大きくくくっちゃってるのには語弊があるが、北米の・・とすると「北米だけなのかな?ヨーロッパはどうなんだろ?わかんないや」ってことで、まとめてみました。

日本で怖い話に出てくるお化けは、青白い顔してぼーっと立っていたり、怖い形相で迫ってきたり、という感じが多いような気がする。
北米の怖い話にもそんな感じのお化けは登場するが、それよりも特徴的なのは、血みどろとかのスプラッタ系、ゾンビ系がよく出るよな~と思う。
バラバラ死体とか、血だらけの死体とか、くずれかけているゾンビとか。
そういうものが怖いものの象徴になっている感じだ。

いってみれば派手な演出で、それも「らしい」といえばそうともいえる。
こちらの遊園地にもお化け屋敷がある。パスポートだけでは入れずに別料金なので、入ったことはない。
怖がりな私は「何で余計にお金を出して怖い思いをしなくちゃならないんだ」って感じで絶対入りたくない。
なので中がどうなっているか分からないけど、きっとゾンビだの、血だらけの死体だの、チェーンソーをもった連続殺人鬼などがいるんだろう。
この遊園地、ハロウィーンが近づく10月となると、夜にオープンする。10数種類の乗り物に乗れるほか、お化け屋敷が4種類くらいあるらしい。さらに、ショーがあるとか。このショーが、のこぎりだのを使って相手の体を切ってしまったかのようなトリックを見せるらしい。きっと血もたくさん出ることであろう・・・ほんと血が好きだと思う、こっちの人って。
さらに、園内は屋外であるからして当然薄暗い。歩いていると突然、お化けだのゾンビだのが飛びついてきたりするっていうから、怖がりな人はおしっこでちゃうよ~~(私なんて考えただけで怖い)
そんなわけで12歳以下にはお勧めされていない。もちろん本人がOKなら12歳以下でも入ることはできるようだ。

ハロウィーンが近くなってくると、季節限定のハロウィーン専門店がオープンする。
このあいだ、そうした1軒を見てきた。
メインは仮装のためのコスチュームやアクセサリーなどで、どっさりあるある。みているだけで面白い。よくもまあこんなにたくさん作っているもんだ。
子供だけが仮装をするわけではなくて、大人も結構楽しんでいるこの仮装、会社によってはハロウィーンの日は仮装していっていいところも多いらしい。セクシー衣装、ユニークな衣装、なんじゃこれ?っていうようなへんてこなものまでほんと多種多彩である。

ハロウィーンといえば飾り付けに凝る人も多い。日本でも最近はハロウィーンの飾りをする人が増えてきているようだが、(さすが他の文化のものを取り入れるのに積極的なお国柄である)
日本の飾りはなんとなく可愛らしい。多分、こうした飾りをするのが女性が主流だからなのかもしれない。
しかし、こっちの飾りは大体、グロテスク。
血だらけの手が地面から出ていたり、不気味な墓石を置いたり、スモークたいてたり、目をくわっと見開いたゾンビがいたり、顔とか体とか崩れている気持ち悪いゾンビがいたり・・・・
夜みたら嫌だなあ~っていうのが多い。
こういうのを自宅に飾るなんてよく出来るなぁ、とおもうし、ハロウィーンが終わったら片さなくちゃいけないが、こんなのを自宅の物置に入れておくのも私は嫌だ。

ハロウィーンの店を見ていると、こうした飾り用のグロテスクな置物や人形がたくさんあって、私は「気持ちわる~~」って思うが、好きな人は好き・・・なんだろうな。
今回、うえーーー、って特に思ったのは、人間の臓器を模したプラスチック製のものが、お肉を入れて売っている発泡スチロールに載せてあってラップもしてあったのがいくつもソファに置かれ、そこに怪物みたいな殺人鬼(?)が座っているディスプレイ。しかも横に冷蔵庫が置いてあったりして・・・
死体をばらばらにして、冷蔵庫で保存している殺人鬼って感じだ。きもちわる~~~~ぞぞぞ~~
(それでもお肉(もちろん人肉ではない!!)は食べられる私、神経は太い・・かも?)
やっぱり、こっちの人は、グロテスクで血が大好きであるようだ・・・・という結論に達したのであった。


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