あの震災から4か月以上が過ぎ、やっとブログのタイトル
「島じろうとさくらの気仙沼大島探訪!!」の通り、
さくらが、このブログに復帰出来るようです。
皆様にはオイラの拙い文章でご迷惑をお掛けしてまいりましたが、
今後も気仙沼 大島の話題を探訪していきますので、
このブログ、さくら、そしてオイラを、宜しくお願い致します。
ここ気仙沼大島の浦の浜と亀山山頂を結んでいた「亀山リフト」の
浦の浜にあった事務所付近からの現在の写真です。
オイラが小学生の時に完成し数十年。震災前の「亀山リフト」です。
完成記念に無料で招待された時の感動と興奮が思い出されます。
復興に向けて何かと話が出てきたここ気仙沼大島。
でも、「亀山リフト」については何処からも情報がなくて…
どなたか今後の「亀山リフト」に関して知っていたら教えて下さい。
いつも地元、気仙沼大島の話題が多くなってしまい
以前から皆さんにご紹介したかった事をうっかり忘れていました。
震災から4カ月半が過ぎ、もうご存じの方も多いと思いますが、
ここ気仙沼・南三陸地方に根ざしたあの三陸新聞さんが、
全国の皆さんに向けてデジタル版にて紙面を公開しています。
気仙沼・南三陸町、もちろん大島の話題も!!
ただしデジタル版は有料ですが、この地方が何を今考え、何が問題なのかを
知るには最適です。取りあえずデジタル版の一面は無料で「立ち読み」出来るので、
是非ご覧ください。
■三陸新聞さんのhpはこちらから。
■三陸新聞さんのデジタル版紙面はこちらから。
紙面の広告が地元を離れて生活している皆さんには懐かしいかも??
オイラの気仙沼でのお昼の定番といえば、市内に数店舗を営業しているお弁当屋さんのお弁当。
なんとお弁当すべてが280円!!
そのお店の店員さんによると、
「お弁当を購入していかれる全国から、ここ気仙沼にボランティアで来られた皆さんの中に
被災者の皆さんに役立てて欲しいと言って、お釣りを受け取らない方々がおられる」との事。
なんとも、なんとも有難いお話です。
でも、でも、気仙沼市内、特に大島でのボランティアの皆さんの活動を知るオイラにしてみると
瓦礫の撤去等の活動だけでも本当に感謝してますし、復興に進む力を頂いております。
ボランティアの皆さん!あまり、お気を使わず、お怪我に気を付けて、これからもここ気仙沼、
そして、オイラの地元大島の復興をご支援下さい。
宜しくお願い致します。
ちなみに本日のオイラのお昼は唐揚げ弁当でした!!
気仙沼から大島の自宅に帰る途中、浦の浜から田中浜へと続く道。
亀山へ登る道の手前に、先週たった2日で一棟のプレハブが建設されました
聞けば気仙沼大島観光協会さんの事務所に使用するとか。
ここ気仙沼大島の主な産業は漁業と観光です。
震災でやむなく休業していた気仙沼大島観光協会さんの復活です
震災前に見ていた風景とは違いはありますが、
亀山山頂から見える気仙沼市内。
亀山山頂から一望出来る太平洋。最高です!!
以前、このブログでも触れましたが、まだまだボランティアの皆さんの
お力が必要な状況です。
でも、復興に向け取り組んでいる今の、ここ気仙沼大島を見て頂く事も
大切な事だと思っています。
是非、ここ気仙沼大島に全国の皆さん来てけさいね!!
気仙沼大島観光協会さんへの連絡は 080-2824-8580まで
被災地の仮設住宅の建設は用地確保の問題もあり
まだまだ不十分で、ここ気仙沼でも県を越え隣接する
岩手県一関市に仮設住宅の建設をするとか。
ここ気仙沼大島には3か所に仮設住宅が建設されていますが、そのひとつ
新王平地区の仮設住宅には、なんとゲートボール場があります。
実は、元々この場所は地域の人達に「うんどば」と呼ばれていたグラウンドで
オイラが子供の頃は野球などをして遊んだ場所で、震災前は地域の元気な
お年寄りの皆さんがゲートボールやグラウンドゴルフを楽しむ場所でした。
仮設住宅に入居できても、生活再建の為、日中はお年寄りの方だけがとり残されたり、
お年寄りの方だけの入居だったり「孤独」の問題が…
用地も確保出来ない地域の方々には本当に申し訳有りませんが、地元の皆さんと
仮設住宅に入居した皆さんの「交流の場」のひとつとして期待してます。
ここ気仙沼大島 新王平仮設住宅に用地の確保が難しい中、ゲートボール場を
残して頂いた関係者の皆さん。
ありがとうございました。
日中に聞こえてくるお年寄りの皆さんの元気な声が復興を前進させます。
昨日、ここ気仙沼大島に、あの動物の声帯模写で有名な
江戸家猫八さん、子猫さん親子に来島頂きました。
猫八さんは、三宅島の観光大使に任命されていて、6月に三宅島で開催された
イベントの収益金や募金を、今回の震災の義援金として、ここ気仙沼大島に
同じ離島という事で直接持参して頂きました。
三宅村村長さんのメッセージ等を代読して頂き、気仙沼大島を代表して
大島観光協会の会長へ猫八さんから直接、義援金が手渡されました。
その後は、大島の島民の皆さんと交流を持って頂き、
なんと東京に日帰り予定にも関わらず、島内にある3か所の仮設住宅を巡って
頂き、楽しいトークや声帯模写をご披露頂きました。
新王平地区の仮設住宅ではウグイスの声帯模写に本物のウグイスが反応して
鳴き出すハプニングも!!さすがプロ! ビックリです。
本当にありがとうございました。
猫八さん 今度は、ここ気仙沼大島の「つばきマラソン」で風になって下さい。
是非是非お待ちしております。
■三宅島の皆さんへ
2000年の雄山の噴火以来、全島避難などを体験され、現在も火山ガスが発生している中、
生活されている三宅島の皆さんのお気持ちを考えると、今回の皆さん善意、感謝以外の
言葉が出て来ません。
本当にありがとうございます。
皆さんのご好意を無駄にしないよう復興に向けて邁進していきます。
オイラはもちろん、オイラの父親の子供の頃から
ここ気仙沼市立大島小学校の校庭にある二宮尊徳の銅像。
全国の小学校にも多くのこの銅像が建っていると思いますが、
その銅像が…
今は一部足の部分を残し台座だけです。
そして二宮尊徳像はブルーシートの上に。
台座が無くても薪を背負い本を読む姿には、この歳?になっても感銘を受けます。
大島小学校や大島の住民の皆さんも修復に向けて動き出していると思いますが、
ここ気仙沼 大島の子供たちの成長を見守り続けてきたこの銅像の復元を願わずにはいられません。
この連休は東京や仙台から知り合いの方々が、ここ気仙沼へ。
その案内でブログの更新が出来ませんでした。
そんな中、公私にお世話になっている方が住んでいた大島 磯草 長浜地区へ。
(お世話になっている方は現在、被災され大島を離れ気仙沼市内で避難生活中です。)
ここ気仙沼大島の最北端に外浜地区、亀山地区と共に位置するこの地区も被害が甚大でした。
ふと奥の岸壁の方に目を向けると、なんとタンクロリーが!!
運転席の向こうは海です。
改めて地震と津波の凄さに言葉も出ませんでした。
この地区の皆さんは、ホタテやカキの養殖漁業をされている方が多く
養殖業の復活を心から願っています。
少し前から、ここ気仙沼大島 浦の浜地区の大島汽船フェリー乗り場の前に
山のようになった瓦礫の撤去が始まりました。
という事は、この瓦礫の山の隣に津波で打ち上げられたままの、カーフェリー
「かめやま」と旅客船「海来」が海に戻る日も近いのかな???
あの震災から4カ月が過ぎ、このままだ震災のシンボル」になってしまうのではと心配です。
カーフェリー「かめやま」と旅客船「海来」には、早く海に戻り、気仙沼 大島間に就航して、
復興のシンボルとして早く活躍してくれる事を期待してますよ。
「ここ気仙沼大島の復興の旗手に!!」 まってからねぇ