杜の里から

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「水」を読む(9)最終回~これから~

2009年06月30日 | 水伝
私は、この「水からの伝言」の話を聞く度に、あの過去の忌まわしい事件の事が脳裏を過ぎります。

それはあの「オウム真理教事件」です。

結晶写真を見るにつけ、オウム真理教の麻原が行った「空中浮揚」の写真を思い出します。あの写真は、教祖であった麻原が超能力者であるとする「証拠」として、オウム真理教のかっこうの宣伝材料となっていました。
普通に見れば、あれは「浮揚」などと言ってますが、実際は高くジャンプしたその瞬間を写したものに過ぎない事がすぐ分かります。 



しかしあの事件の後、脱会した信者のインタビューを見た折、あの写真が入信のきっかけになったと言う事を聞き、大いに驚いたものです。なぜこんな写真が信じられるのか、私には全然理解出来なかったからです。
しかしながら、よくよく思い返して見れば、かつて私がUFOやら超能力などの存在を信じていた頃、紹介される写真を見て、疑う事なくそれを信じてしまった自分がいた事に気づきました。
考えてみればあの頃の自分は、未知の物が存在するという「証拠」が現れるのを待ち望んでいたのです。
特に写真というものは、大きなインパクトがありました。それはまさに、「実在」する事の確かな証拠だと思っていたからです。
でも今は違います。
数々の否定的意見にも積極的に耳を貸す事により、証拠と思われていたものが実はまるで証拠になっていない事に気づいたからです。

確かに写真というものは「事実の断片」を記録するものです。しかしそれはあくまで「断片」であり、それがすべての「真実」を表している訳では決してありません。それは、あとから別の解釈を加える事により、どうにでも違う意味付けがなされ得るものなのです。

この麻原の空中浮揚の写真については、オウム真理教被害対策弁護団の滝本太郎弁護士によって、それが超能力でも何でもない事が暴かれました。



しかし、この写真が発表されてからも尚、マインドコントロールから抜け出せない人達がたくさんいる事が、この事件の根深さを物語っています。

「水からの伝言」のあの結晶写真は、オウムの「空中浮揚」の写真と同じなのだと私は思います。

それを見た人は、その美しさのインパクトにより、それに付される説明をそのまま信じ込まされてしまいます。そして、彼の述べる「実例」に我が身を投影し、そこにたまたま当てはまる部分のみで彼の言葉を信じてしまうようになってしまいます。
そしてやがて、見る物聞く物すべてに対し、彼の言った言葉通りという関連付けをしていくようになります。
つまり、一方向からの思考しか出来なくなっていくのです。

人は一度強い【思い込み】をしてしまうと、そこから中々抜け出す事は出来ません。また、否定の意見にも耳を貸しません。自分が信じていたものを否定するという事は、自分自身の否定にもなってしまうからです。それは多分、本能的な恐れなのかもしれません。

この本を読むと、当の江本自身が強い思い込みの中にあるように思えてなりません。
その思い込みをそうとは認めたくないがため、彼はその「証拠」を捜し求め、そして「結晶写真」と出会いました。
たちまちその美しさに魅了され、ついに彼自身がその虜にされてしまった、そういう風に私には見えます。
p.145からp.176まで、また美しい結晶写真が紹介されますが、そこには様々な「自然水」の結晶写真もあります。この写真が意味する所を、彼は決して知る事はないでしょう。

「ありがとう」や「愛・感謝」の文字を見せなくても、きれいな結晶は出来るのです。


今月から「裁判員制度」が始まりました。
裁判員に選ばれた者は、提出された証拠を客観的に判断しなければなりません。そしてそれは、国民誰もがそういう判断をしなければならない状況になったとも言えます。
そしてこれはもう、国民の義務となったのです。
そのような時に、この様な本を読んでその結晶の美しさに目を奪われ、その説明をそのまま鵜呑みにしてしまう様な事、つまり、「印象」だけで判断してしまう様な事があってはならないのです。

彼は波動の存在の「証拠」として結晶写真を提示しました。だから我々は、それが「証拠」として果たして有効か否かという視点から、客観的にそれを見るようにするのです。
すると、実際この本で示された写真だけでは「証拠不十分」という判断になるでしょう。それ故次にすべき事は、さらなる証拠(残り49個)の開示請求となります。
そして次に行うべきは証人申請です。この場合の証人とは、この結晶写真を撮った当人、研究員という事になります。
それらが明らかにならない限り、この波動の存在というのは証明されないのです。
勿論このような判断は、【裁判関係者ならば誰でもすぐ出来る事】でしょうが、我々一般市民には中々難しい事かもしれません。

私達の身の周りに目を向ければ、「見た目」やら「キャッチフレーズ」のインパクトだけで宣伝している怪しいものがたくさんあります。
これから私達には、そういう物に対しても客観的な判断を下せる柔軟な思考が要求されているという事を誰もが意識する、そんな時代が今やって来たのです。



結晶の成長過程の動画が某所で見ることが出来るので、それを見てみました。
それを見ると、かつてスキー場で見た、結晶の形のままで降ってくる雪を見た時の事が思い出されます。
その時は、まさに大自然の神秘を目の当たりにしたような、えも言われぬ感動を覚えたものでした。
そこでは、そんな感動を思い起こさせるような、まさに神秘的な画像が動画として紹介されています。
しかしなぜか、「ばかやろう」の映像はこの本の写真がそのまま紹介されているだけでした。
私としては、ギンギンのロックのリズムに乗った、「結晶が砕け散っていくさま」の映像をぜひ見てみたいものだと思っているのです。
(終)


※滝本弁護士の写真掲載は本人の了承を得ています。快諾して下さった滝本太郎さんに、この場を借りてあらためて深く御礼申し上げます。
  滝本太郎さんのブログ:『日常生活を愛する人は?』-某弁護士日記
  参加ネットワーク:日本脱カルト協会                


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6 コメント

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カリスマの責任とは (HIGASHI)
2010-11-22 17:59:21
最近 親しい方のブログに気になる記事が掲載されており、その内容が水伝そのままでした。水(氷)の結晶体の写真をいく通りも並べ、きれいな言葉と汚い言葉を書けた事例とか書かれたいつものキャプション。この方は、人材育成コンサルタントや接客マナーなどの講師をされる地元でもカリスマ的な方ですが、この方のブログに掲載された記事が、きれいな言葉は前向きになるとあり、その事例として、水伝が挙げられていたのです。私は水伝そのものの真実か否かよりも、情報発信者たる自分のカリスマとしての責任をどう考えているのかと言うことに危機感を感じました。カリスマというフィルターを通すことによる説得力の増大は、その記事に続くコメントを見ると、無垢な来客にあっという間に影響を与えていました。言葉による生活姿勢、勤務態度を訓練する立場。人間対人間の社会科学を基礎とする立場に、自然科学を安易に持ち込む姿勢は、対人間のきわめてデリケートな分野に混乱を産みはしないかと老婆心ながら案じています。つまり、「人間関係という現実的な問題に、迷信・幻想を持ち込むことは、問題を抱えた当事者にとり真実を飛躍・歪曲して捉えさせ対人問題において混乱を増幅させることになる」のではないかと・・・。社会教育コンサルタントを名乗るベテランの方さえ、水伝という、迷信に染まる事実は、この問題の科学的批判にとどまらない奥深さを感じました。いやむしろ問題とすべきは、今回のような連鎖現象でしょうか。
伝え頒布する立場の人間には、常に情報への責任があると言うこと。この自覚を失ったとき、混乱と誤解の連鎖が始まり、その向こうに危機的状況が出現する。そう感じています。掲載しますからよろしければごらんください。
ttp://toshiue16kodakusan.blog87.fc2.com/blog-entry-233.html#comment
発信する側の自覚 (OSATO)
2010-11-22 22:36:10
いらっしゃいませHIGASHIさん、お久しぶりです。
ご紹介のブログ拝見致しました。

>人間対人間の社会科学を基礎とする立場に、自然科学を安易に持ち込む姿勢

人は自分の言葉により確実性を持たせたいとする無意識の欲求があり、その根拠を自然科学という確固たるもの(と思っている事)の中に見つけた時、人は思わず疑う事を忘れてしまうのかもしれませんね。

>社会教育コンサルタントを名乗るベテランの方さえ、水伝という、迷信に染まる事実は、この問題の科学的批判にとどまらない奥深さを感じました。

仰るとおりです。
確かに水伝の批判は当初科学方面から始まりましたが、内包されている問題は実はこれほど深刻な事なのですね。
事実これまで批判されてきた方達は、実は皆こういう危険性を指摘してきたのです。

>伝え頒布する立場の人間には、常に情報への責任があると言うこと。

ネットの中に書き込むという事は、実は皆表現者としての大きな責任を持たされているのですね。
しかし今、誰もが簡単にブログを開設して思うがままに書き込む様になるにつれ、そういう事を自覚していない人が確実に増えてます。
ただでさえそういう状態なのに、ましてやベテランの方がこうだと問題はますます深刻です。
はてブでNarrさんがそういう実態を集めておりますが、それを見る度に不安はますます募るばかりなのです。↓
http://b.hatena.ne.jp/Narr/%E6%B0%B4%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E4%BC%9D%E8%A8%80/
とうとうこんな書き込みが (HIGASHI)
2010-11-28 22:19:23
先のブログですが・・・・
とうとうこのような書き込みがありました。


水がどうやって言葉を聞き分けるのか・・・
もしそれが本当なら、人の身体も水で出来ているので
私は、怖くて人とは話せなくなると思います。
もし人を恨むのなら、汚い言葉を吐き続けると
その人は、そういう言葉をかけられた人は悪い影響を受けるのですか?
先生の言うことが本当なら、、
「呪い」「まじない」「魔術」
と言うものが存在すると言う証明にもなる。
かえって人は疑心暗鬼に囚われませんか?
漫画の「デスノート」のように、
人が信じられなくなって怖いと思いました。
人は返って話さないほうがいいのでしょうか。
前向きになるどころか
怖いです。私もどこかで、そのような言葉をかけられているかもしれない・・・・・。


私が心配している「影響」そのものの典型例です。カリスマが、安易に責任の取れないコメントを載せることの影響はこのようになるのでしょうね。この方の書き込みが全てを物語っています。おそらく、ブログ主催者はこのような影響を受ける人がいることは、予測していないと思いますが。カリスマを信じているこの人は、どうやってこの状況を立ち直るのでしょうか・・・。カリスマは出かけていって誤解を解くことはしないでしょう。
困ったものです (OSATO)
2010-11-28 23:10:01
>HIGASHIさん

まさにこういう形でニセ科学が蔓延してしまうという一つの典型例ですね。
ブログ拝見しましたが、管理人さんはコメントに対して全然フォローしていないようですね。これもどうかと思うのですが。
取り合えず私からもコメント入れてみますね。
貴重な事例と考えたい・・・ (HIGASHI)
2010-11-29 12:34:44
>蔓延してしまうという一つの典型例ですね。

 ニセ科学としての問題の一番重要な部分だと思います。人の心を救うはずが、苦しめる。社会教育コンサルタントとしては致命的な記事だと思いました。

 私としては、本人が早く自覚して欲しいと思うのです。せっかくの社会的信頼のある立場が、発言の反作用も考えないことでは、危ういと思うのです。
 しかし、こういうことは、知人がじかに言うとかえって反発し聞かない。しかし、今回のこのコメントの貴重さには自分も驚いています。まさに目から鱗が落ちるの例えでした。


先生の言うことが本当なら、、
「呪い」「まじない」「魔術」
と言うものが存在すると言う証明にもなる。

漫画の「デスノート」のように、


 コメントされた方の「デスノート」の指摘は、凄いと思いました。私もあの内容は読み知っています。水伝の反面教師的内容だと考えています。水伝の行き着く結果を説明するのには、よい事例になるのでは。つまり・・・
 科学的証明のはずが、迷信の補強に陥り、受け手の心が疑心暗鬼の収拾のつかない状態になる。ブログの主催者も、呪術や魔術などは信じておらず、それにもかかわらず、本人が知らず知らずの内に暴走しだし、そういうものの頒布に加担している現実がある。そして頒布した責任が取れない。

 今後のためのよい事例となったと考えています。私の恐れていたモデルケースとして、今後は活用したいと考えます。もちろん個人を糾弾する気持ちはありません。ただ、物事の両面性・・・水伝を知ることにより、心の傷をかえって深める可能性も大きいという、具体的事例として捉えたいと思います。

言い続けるしかない (OSATO)
2010-11-29 23:36:46
>HIGASHIさん

「水からの伝言」問題を追ってるといつもこれにぶつかるのですが、【人は見たいものしか見ない】ものなのですね。
私がやってみたこの一連のエントリーを読めば、この本にはおかしな事がいっぱい書かれているのが分かりますよね。
でもあの結晶写真に目を奪われた者は、言葉がその形に影響を与えたという説をいとも簡単に受け入れてしまいます。
そしてその部分【だけ】がこのような形でどんどん拡散されていくという訳です。その言説の裏に隠された危険に気付く事なく。

だから異を唱える者は、結局こうして言い続けるしかない訳なんですね。

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