アンティークマン

 裸にて生まれてきたに何不足。

クラーク博士と新渡戸稲造

2009年02月21日 | Weblog
  大志を抱け、紳士たれ

 「青年よ大志を抱け」ウィリアム・スミス・クラーク博士の言葉とされている。
 これについて、諸説入り乱れており、実のところは不透明のようである。もっとも有力な説として、「Boys be ambitious」は、クラーク博士の故郷であるマサチューセッツ州をはじめとする、ニューイングランドの慣用句。そのため、博士は、札幌農学校(現在の北海道大学)時代、折に触れ、「Boys be ambitious」を使っていた。そのため、博士の言葉として語り継がれてきた。その辺で間違いないかな。

 安東幾三郎という方が書いたものに、クラーク博士は、「Boys, be ambitious like this old man」と、言ったというものがある。「青年よ、この老人(クラーク博士)のように、大志を抱け」。クラーク博士は、大志を抱いて、マサチューセッツの田舎町から、札幌へやって来たということなのでしょうか。

 さらに、次のようなものもある…
 「青年よ大志を抱け、金や独りよがりの功績のためでなく、人が名声と呼ぶあのはかないもののためでもなく、人が備えなければならないものを身につけるための大志を抱け」
 
 クラーク博士がこう言ったかどうかは、永遠に分からないのですが、私は言ったとしてほしいです。
 「私欲を忌み、公正を尊び、富より名誉を重んじる」と、いうことです。人が備えるべきものは、「義を重んじ、親孝行し、自らを厳しく律し、敗者へは仁慈、敵には憐み」ですね。ありゃ~!こ、こ、これって!ピッタリ武士道精神じゃないですか!…意図的に、そこへ誘導しただろうって?イエイエ、流れに任せたらたどり着いたのです。

 稲造の「武士道」を、クラーク博士が読んで感銘したのか?それは違います。稲造が、武士道を著す前にクラーク博士が亡くなっていますから。私は、新渡戸稲造の「武士道」に、クラーク博士が影響を与えていると考えています。

 稲造が、札幌農学校に入学(二期生)したときは、クラーク博士は帰国しており入れ違いでした。しかし、一期生のほぼ全員が、クラーク博士の影響でキリスト教に入信していたこともあり、二期生の稲造もキリスト教にのめり込んだのでした。
 ウィリアム・スミス・クラーク博士のあとを、稲造が追っていたと思われるキリスト教以外の例は…
1 ウィリアムは園芸学、稲造もその名の通り農業を学んだ。
2 ウィリアム(アムハースト大学)も、稲造(ジョンズ・ホプキンス大学)もアメリカの大学で学んだ。
3 ウィリアムも、稲造もドイツに留学した。
4 ウィリアムも、稲造も母校で教鞭を執った。
5 ウィリアムも、稲造も大学の学長になった。
 と、いうわけで稲造は、クラーク博士のあとを追う過程で「武士道」の構想を着々と練っていたと考えたわけです。それがどうしたって?「Boys be ambitious」ですよ!クラーク博士の故郷であるニューイングランドでは、親をはじめとする大人たちが、子供達を叱咤していたということ。「携帯持たせて何が悪いのよ!そんなの勝手でしょう」という親とはかなり違います。「武士道」の基盤に、「Boys be ambitious」があった!

 クラーク博士の言葉として、あまり有名ではないのですが、「Be Gentleman」があります。これは、札幌農学校の校則についての協議での言葉。「細々したものは不要、Be Gentlemanだけで十分」ということ。これは、「規則」のもっとも進化したものでしょう。
 稲造は、野球を嫌いました。「野球は、常に相手をペテンにかけようとする競技」…Be Gentlemanではないと。

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