2006年12月号(通巻421号):わたしのライブラリー

近過ぎの世界、
遠のくご近所

編集委員 岩田朋之
 

 ニューヨークのある大企業。明朝の会議までにどうしてもあるテーマに関するデータを収集しておきたい一人の役員が退社前、一本の電話をかけ、その旨を指示する。そして翌朝、早めに出社してPCを開くと、十分すぎる量の資料が見事な要約文、コメントを添えられ電子メールで到着している。いつもの事ながら、会議への準備は万全だ…
 こんな仕事のスタイルが今やアメリカでは珍しくない。自社に秘書を持たず、電話の指示に応じて極めて高度な仕事をこなす社外秘書を経営陣たちが数名ずつ抱えるのだ。

 さて、この役員が電話をかけた先はインドのバンガロール。ITなどアメリカの知的ビジネスのアウトソーシングを請け負う成長著しい経済特区として、BRICs(ブリックス:経済成長が著しいブラジル、ロシア、インド、中国の頭文字からつけられた4カ国の総称)の中でもひときわ注目を集める都市だ。良い仕事を求めてここに集まるインドで最高の教育を受けた精鋭たちは、ハーバードやMIT出身者に匹敵する知能・知識を持つという。そして驚くべきは、ニューヨークで中程度の学歴を持つ秘書を1人、正社員として雇うコストで、そんなインドの超秀才を実に3人も雇うことができる。アメリカの国際的企業がそこに目を付けないわけがない。


 『レクサスとオリーブの木』で知られるトーマス・フリードマンは新著”The World Is Flat“(出版社:Farrar, Straus and Giroux、価格:$ 27.50)の中で、加速度的に進む知的労働の海外アウトソーシング化の実態を、現場取材に基づき克明に描写している。そしてこう礼賛する。「グローバル化、IT化の恩恵を受け、過酷な工場労働だけでなく、知的労働までが世界にあまねく行き渡るようになった。世界はフラット化したのだ」と。
 活写されるこうした最先端ビジネスの姿は、確かに読み手を魅了する魔力を持つ。しかし、バラ色の未来図の裏に隠されたもうひとつの現実はどうなのか。
 先日新聞で、バンガロールのひどい労働実態が報告されていた。狭いブースにひしめき合うように座る従業員たち、労組の結成が認められない実態…。アメリカから送られて来る個人情報の不正流用など、反動の兆しも一方で現れている。
 フリードマンはアメリカ国民に対し、「知的仕事をアジアに奪われたくないのなら、常に研鑽をおこたらず、独創性のある分野を開拓せよ」と、同書の締めくくりでたゆまぬ自己啓発の必要性を説く。『フリーエージェント社会の到来』で著名なダニエル・ピンクに至っては、近著”A Whole New World“の中で、「MBA万能の時代は去った。知的仕事はアジアにくれてやれ。アメリカ人は、次はアートを学び、世界的競争力のある芸術的能力を我が物にせよ」という趣旨のさらに突拍子もない檄を飛ばす。



 アメリカの巨大企業が世界とITネットワークで緊密になってゆく反面、アメリカ国民は絶えざる競争と脅威にさらされ、人と人のネットワークを維持することも難しいゆとりのない情況に追い込まれているのではないか。
 そんなアメリカ人の心にぽっかりとあいた空洞を精緻な調査に基づき考証したのがロバート・パットナム著『孤独なボウリング~米国コミュニティの崩壊と再生』(訳者:柴内康文、出版社:柏書房、価格:6,800円)だ。
 カラオケボックスを練習のためと一人で借り切る人の存在はたまに耳にするが、ボウリング場でひとり黙々とプレイする人と隣り合わせたとしたらどうだろう。パットナムは、リスクを個人で背負わされ、メンバーシップよりは自律という信念を優先させられ、孤立化する現代のアメリカ人を「ひとりぼっちのボウラー」に例えた。
 建国来アメリカ人の拠り所であり、発展の原動力でもあった社会的資本が、70年代以降急速に衰退し続けているという。社会的資本(Social Capital)とは、人と人が社会的に結びつき関係性のネットワークを築くことによって産まれる資産を指す。互酬性や信頼感の醸成などはその最たるものだ。
 衰退の例証を挙げるための著者の膨大なリサーチと検証は、読む者に根競べを強いるほどの分量に及び、当書が650ページに近い大部となった要因である。教会活動、ロータリー、PTA、地域活動、ボランティア・市民活動など多岐に及ぶ仕事(有給)以外の活動へのアメリカ人の参加数、意識の変遷、その原因分析が事細かに示される。

 我々にとって興味深いのは、ボランティア・市民活動に関する分析だ。他の社会参加が一様に著しく低下しているのに対し、ボランティアは近年になり微増を見せていた。しかし著者によればその理由は、第三者的な支援をするサポーターやドナーが増えたからだという。直接ボランティア団体の組織運営にあたる参加型ではなく、グリーンピースやシェラクラブ等の年会費を払うサポート型に加わる人が増えただけで、それは社会的資本を再構築するための会員活動というよりは、消費者感覚に近いと手厳しい。
 プラグマティズムの哲学者、ジョン・デューイの言葉を引用し、著者はこう簡明に訴える。「共同生活から孤立した友愛、自由、平等など見通しのない抽象概念に過ぎない。民主主義は家庭から、近隣のコミュニティから始まらなければならない」。そして「現代の暮らしに合った、市民生活に再び活気を与える制度とチャンネルを新たに創造しなければならない、我々はなんとしてでも市民的発明の時代を必要としている」と参加型市民セクターが今後担ってゆく役割の大きさを強調し、期待を込めている。

 では、まず具体的に何をしなければならないか。「ご一緒にピクニックに行く回数を増やしましょう」がパットナム氏からの提案であり、本書を締めくくる洒脱な言葉だ。
 グローバル社会の世界的ネットワークに未来を託すフリードマン氏と、もっとプリミティブな関係性の早期回復を訴えるパットナム氏の対照的な2冊だが、どちらが真の意味で人を豊かで幸福にするのか。私の心の中で答えは明らかだ。
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