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ぶどうの皮むき

2015-04-04 22:10:05 | 自然と環境のこと
■ ぶどう畑にておもったこと
 
昨日は、幸せな日だった。午後からちょっとブドウ畑に呼ばれて、ぶどうの木の皮を向く手伝いをしていた。ブドウの木は古い角質のように、木の皮が厚くなり、そこに虫が卵を産み付けるのだそうだ。 
 
山では、木の枝一本拾っても、自然破壊と叱られる。でも、畑は、自然が向かう先にちょっと人間が介添えしてやると、自然界はそれに好意的に答えてくれる。そうやって自然と対話するのがうれしい。
 
甲府盆地は、日本のへそに位置するが、そこは巨大な日向で、ぽっかりと空いている。そのど真ん中、360度山がぐるりと見えるブドウ畑で、皮むきなんてやっていると、幸せがこみ上げてくる。いいなぁ~、ブドウの木を手入れする生活。家の中でTVを見ているのが幸福とはわたしには考えられないからなぁ。
 
欧米では庭仕事は癒しだと認識されている。住宅地ではフロントガーデンの手入れをしないと、条例違反になり、住宅地と言えば、それぞれの家が趣向を凝らした庭を披露しているのを眺めることができる。
 
以前、仕事で全米No3に豊かなカンザスのオーバーランドパークシティに行った時、同僚たちが「何もない」と苦情を言って、レストラン探しにすごく苦労させられた。が、そこは何もないのではなく、アメリカが描いた幸福の具現があるのだ。
 
安っぽいファミレスや商店類を敢えて拒絶し、美しい前庭が共演するように並ぶ、レンガ作りの、うっとりするほど、美しい家家が並ぶのだ。ゲートには門番がいて、部外者お断り。早朝にランニングしていると、美人でブロンドの奥さん連がいつも庭仕事していた。
 
おとぎの国のように美しく、森の中にたたずむ家々は、カンザスが、かつては何もない大草原、グレートプレーリーだったことなど、みじんにも感じさせない。乾燥から湿潤へ人間が、木を植えて作った、美しい土地だ。その計画は200年前の開国から始まって、入植者には、植林が義務付けられた。貧しく苦しい開拓生活は、こうして結実したのだ。おとぎの国になって。
 
山梨は、内陸性気候でカンザスに似ている。200年の計があれば、美しい森に囲まれて、小鳥のさえずりに目覚める生活も可能だったのだろう。
 
実際は、この国は、利便性、”便利”と狭量な権利意識に流れ、無計画に作られた道路脇に、スキマの無いほど、家がぎっしり並び、それらは、不便をきたすほど小さい。なおかつ、その4分の1は、もはや誰も住んでいない。それでも貸しに出さないから、賃料は大都会並みに高い。
 
オーバーストア状態で、空家店舗だらけなのにもかかわらず、人々はまだ、新しい店が必要だ、と勘違いしている。必要なのは店ではなく、お金で買えない価値なのだ。オーバーランドパークシティのような。
 
そういう世相の中で、お金で買えない価値を味わえた、ぶどう畑の皮むきだった
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