セレブと山 『華恵、山へ行く』

2012-11-21 12:26:23 | 山の本 移植途中

図書館で『華恵、山へ行く』を借りてきました。

実はこの本、ずっと前に書店で手にとってチラッと立ち読みして「???」だったため、読まずにおいてきた本でした。

というのも、作者の華恵さん、雪の奥穂とかにベテランクライマーと行くのですが、そこまでは気持ちよく読んでいたものの、その後初めてインドアクライミングしたり、初めて高尾山に登ったり… なんだか山の順番的に、門外漢には超なぞで…参考になるんだか、ならないんだか・・・だったからです。

はい後回し!決定…と言うわけでした(笑)

筆致はいたって謙虚なのでしたが、謙虚すぎるっていうか…ストックを持って山を歩くのに「ストン、ストン」と落とすように持つとか、それが雪の奥穂とかアウトドアクライミングのレベル感と一致していなくて、ものすごーく、脳みそが混乱する…(笑)

ストックを山側に持って、谷側に持たないほうがいい…とか…そういうのが分からない人がイキナリクライマーに連れられて奥穂登ってしまう… 地図も読めず、1人で歩くこともできないのに、なぜいきなり?!な唐突感… 山と人の出会いっていうのも色々なんだなぁ…と。

■ プロセスがないのがセレブ?!

ごく普通の登山者は、ストックの持ち方とか、くたびれない歩き方とか、さんざん、たくさん歩いて、失敗して体得する。色々な小さな失敗をしたり… 小さな成功を重ねて、小さく一歩を踏み出す…そういうプロセスがどんな物事においても、楽しみのひとつなのではないかな…。

もしそれを端折って、まったくの初心者が、いきなりエベレストとかに行ってしまって登れたら、それでも人はやっぱり感動するんだろうか? 

それは今ではロープウェーで登れるようになったしまった乗鞍岳にあんまり感動がない(らしい・・・行っていない…)のと同じなんじゃないだろうかと思ったりします。

小さなステップを端折って、大きなステップで達成してしまう?

世界の果てまで行ってQのイモト、マッターホルンに挑戦した回では、夫によると2chはすごいブーイングの嵐だったそうでした。イモトを避難する山人多数。 

私の知り合いのガイドさんは、この辺の山はすべてをあるきつくしたみたいな、道なき道を行く、リアルな実力者だけど、たぶん、マッターホルンは登っていないと思う… イモトに登れたなら、ガイドさんは確実に登れるはずで、登山暦と言っても数年もないような人がマッターホルンを登ってしまうということはマッターホルンの価値がすごく下ってしまったような気分を否めない…

でも素直にイモト頑張ってねとも言ってあげたいんだけどね。実際、ほとんど登山暦などないに等しい素人が登れたことで、大衆化する、一般化するっていう功績?もあるんだろう。誰だって遠い夢より距離が近い夢に励まされる。

それと同じような、違和感をこの『華絵、山に行く』に感じるんだな…

なにしろ、イキナリ雪の奥穂にアイスクライミング…なのに高尾山も1人で行ったことがない。
屋外のクライミングが初めてで、室内クライミングにヘルメットを持っていってしまう…

それもこれも、年に数回履く登山靴のソールがはがれて靴を買いに行った山道具屋で出合った人が山のベテランガイドさんだったから…? そのガイドさんに連れられるままに行く山…それは山の経験として本にしてしまっていい経験なんだろうか?

出てきた女子登山部が、キキさん、野川かさねさん、華恵さんだった…うーん、セレブすぎる…。

それが普通すぎて怖い。自分の仲間が皆セレブ… 
その「セレブ感」が困ったなって感じなのだ。 だってね、普通の人はスノーシューが先でしょうから。

でも、まぁ昔から登山界というのは、売名と表裏一体みたいなところは合ったみたいな世界なのだけど、それは昔登山が高額で高尚なスポーツであったころの話…今、山はそれこそ、「みんなの山」になったのだ。

■ 多文化日本

調べてみたら、この華恵さんという方は「移動する子供」だった。日本もずいぶん国際化してきて、海外で幼少期を過ごして、成人して日本に、というような複雑なバックグランドを持った人たちが増えてきた。

私の大学は外国語大学だったので結構そういう人が集まっている環境で、見た目はどーみてもインド人なのに日本語しか話せないし、中身は大阪人、というトモダチや、逆に海外で高校、大学を済ませたけど、日本に適応障害中の人や、いっそ、ということで、日本人の親なのにイギリスのグラマースクール卒業からそのまま日本の大工に転身という人もいた。

多文化な人たちが集まる、複雑な社会で育つ人がいかに言語環境的に大変か、私も語学を勉強したことのある人としてなんとなく分かる。 

この華絵さんと言う方は、小さいころにNYだったので英語は中途半端になってしまったみたいだ。
日本語で書くエッセイストとして本を出しているそうだ。

私はむしろ、この方の『本を読むわたし』に共感しました。グランマがジョークを言うあたり…
「Answer the door!」と言って、玄関にお出迎えに行くのではなくて 本当に「答えてしまう」
それを笑うのは母国語として英語を話すアメリカ人。第二外国語で英語を話し、友達がまじで
そういう状況に陥るのを体感している孫は、こんなジョークを笑えない、多文化社会育ちの孫、そんな”進歩した”世界にはついていけない「古きよき」アメリカの内陸部に住む祖母。 

まるでサンフランシスコとペンシルヴァニアのよう… というか、大阪と山梨のようでさえあるかもしれない…(汗)

たった2年を過ごした外国暮らしがその後の私の人生に強い影響を与えたように、この華絵さんという方にとってもキンダー(幼稚園)を過ごしたNYが自分の色を彩るものになったんだろうなぁ…ってところに着陸。

登山の紀行文はあまりのセレブな展開からは微妙に感情移入しづらいのでしたが… 
私は紀行文なら『北八つ彷徨』とか好きです。後は漫画の『岳』三歩さんが死ぬなんて結末は
未だに許せん!と思っているのですが…(笑)

紀行文と言うのは、あんまりポエティック過ぎるのは読んでいてかったるいし、情報量も少なく役に立たないので買いたいという気になれない…逆にあんまり思索的でも読みづらいし… そもそも、昔に比べ、今では情報と言うものの価値は下ったので、お金を出して買うほどの紀行文を書くのは相当なスキルと情報量がいるはずです。

紀行文というものの成否は読んだ人がそこに行きたい!と思うかどうかだと教わりました。

そういう意味ではもっとも成功した紀行作家はやっぱり深田久弥ということになるのかもしれませんね。ただ、この作家、奥さんの作品を盗作して名を成したくせに病床の妻を見捨てた男なので、女性の立場から、もろ手に賛同とは行きませんが…(--;)

さて、今週末はまた山です♪ 山に良い行動食、今日買ってきました☆


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