唯のブログ。

病気の体験、療養生活や日々思いついた事などを書き留めているブログ。時々毒吐き。楽しめれば最高、無理なら受け流す。

謙虚である事。 自信を持つ事。

2009-09-16 15:16:29 | インポート
 これも三浦先生のセミナーで心に残った事。

常日頃は、自分はまだまだ未熟だからもっと学ばなくてはならないと謙虚に努力しないといけない。

 一方、いざ患者を治療する時は、自分が世界一の治療家であるかのごとく自分に自信を持ってあたる事。 そうする事によって、波動が上がり治療効果が上がる。

この、謙虚であるという事と、自信を持つという事を混同していた。
そして、意識を上手に持ってうまく日常生活で実践できていなかったのだと思う。 自信が無く、謙虚でもない「臆す」という言葉がぴったりの行動。周りからは先入観からか、堂々としているなどといわれる事もあったが、自分の内面の感情は正に「臆している」事が多かった。
 

全く違う事なのに混同して、いつも引いていればそれで良いというような感覚で来たと思う。 全く消極的だった。自信など持って前へ出れば酷い事がおこるような気がしていた。 幼少時は、事実起こっていた。恐怖だった。 自信を前面に出すような派手な事をすれば、それだけで打たれただろう。

そんな事を考えて散歩をしていた。

自分を苦しめていた潜在意識の間違った理解に気が付いて、少しすっきりした。  普通の人間は自信を持つ事に恐怖など感じないのだ。 自分も感じる必要はない。 今更ながら当たり前だ。

今、先生の言うように出来ていないのは、

1.自身を持つという事。
 (今までは、訳の判らない恐怖を感じ、駄目な自分が安心だった。出来るといえば怒られる、笑っていれば怒られる。しゅんとなっていれば、怒られないで済む。  そんな感情は、忘れる事。)

2.本当の意味の謙虚を実践する事。
 (謙虚とは、堂々とした奥ゆかさ。 卑屈な「臆した」振る舞いではないという事。)

 世の成功者は、醜く恥ずかしがったりしない、堂々と賛辞を受けている。受け答えにもよどみが無い。 見習うべきはこういう態度。

 気をつけなければいけないのは、根拠の無い自信家。 鈍感なのか、勘違いなのか判らないが、偉そうに上から目線で振舞える人間がいる。 こうなったら御仕舞い。

 簡単なようで難しい、自信を持つ事、謙虚にあること。 
 うまく行っている自分を否定する必要など無く謙虚さを忘れなければそれでいいのだ。

今までは、成功を自分で無意識に否定していたから続かなかったのかもしれない。
 
 


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