じゅんの折々の記

折々に感じたことなど・・・

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吊し柿

2017年11月30日 | じゅんの折々の記
 十一月半ば、蕎麦畑に立っている柿の木の柿を捥いで吊し柿にした。蕎麦を刈ってから捥ぎに行ったので、時期としては遅い方だろう。
 五十個ほどを吊し柿にし、枝のついていない柿は、剥いて箱に並べ干し柿にした。間もなく初雪が降って来たので、屋内の窓際に吊しておいた。
 先日、表面が乾いて、おいしそうなので少しつまんで食べたら、まだ渋かった。
 毎年、多くの吊し柿を作っている方に聞いたら、渋が抜けて食べられるまで一か月くらいかかるという。ネットでは渋が抜けて食べられるまで二~三週間というように載っているところがあった。
 私のは果してどうなるのか。食べられるようになるのかどうかも分からない。もし、食べられるようになればいいのだが・・・。
 スーパーなどで、もう干し柿が出ているのだが、たくさん食べるにはお金がかかる。うまく食べられるようになったら、来年はもっと多く作りたいと思う。

 画像はネットから拝借。
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絵手紙初心者

2017年10月17日 | じゅんの折々の記
先日、絵手紙の会に誘われた。
絵手紙の先生は、水彩スケッチのように水をあまり使わない。
また、鉛筆でスケッチはしない。薄墨をすり、筆で描いてから彩色する。
絵手紙の会から帰ると、やっぱり水を使ったりする。
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謹賀新年

2017年01月02日 | じゅんの折々の記
あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
日々のことを綴りながら、俳句を作れたらいいなと思います。
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山形県出身の歌手・林部智史

2016年12月19日 | じゅんの折々の記
 私の町には数年前にCD・DVDレンタル屋が無くなってしまった。また、私は民放のカラオケ番組は観ない。それで不覚にも林部智史を知らなかった。NHKの音楽番組を何気なく観ていたら、山形県出身ではないか。林部とは、どう読むのかさえ知らなかった。
 林部智史は「はやしべさとし」と読むらしい。新庄市から山形市に移った。しばらくYOU TUBEでその歌声を楽しませてもらった。デビュー曲「あいたい」は、2016年2月にCDをリリース。この曲もYOU TUBEでじっくりと聞いた。
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鰰(はたはた)

2016年12月09日 | じゅんの折々の記
 先日、スーパーに行ったら、鰰のから揚げがあった。「ハタハタのから揚げ」と書いてあった。開いてから揚げにしたものだ。私は卵がたくさん入った大ぶりの鰰の味噌の田楽が大の好物である。魚屋さんに焼いてもらわないと食べられない。鰰が入る時期に、魚屋の張り紙を見て焼いてもらうように頼む。魚屋までは車で10分ほどかかる。そこまで二度手間となるが取りに行き、帰ったらすぐ食べなければならない。それが年に一度か二度、鰰の旬の楽しみである。

鰰の腹裂くるとも卵抱く 殿村菟絲子
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進学期

2016年03月29日 | じゅんの折々の記
 いつもお世話になっている寺の長男が東京の大学へ進学することになった。
 社会人としての進路も念頭に入れる年齢になったのだろう。転換期であるが、焦ることもないだろう。ご本人のことはわからないが・・・。
 私はといえば、数えの古希を迎え、これから晩年かという感覚がないでもない。体調にも明らかな変化があり、飲食についても細くなってしまった。「おいしいものを少し」というところだろう。
 社会的な仕事からは手を引いているが、いろいろやることがあり、暇ということはない。
 創作だったら締め切りには間に合うようにしたい。
 好きなスケッチは、気楽に楽しみたい。
 それが締め切りには遅れる。スケッチは面倒だということになっている。
 もう時間がないんですよ!!
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血圧降下剤で死亡!

2016年01月15日 | じゅんの折々の記
 2016年1月13日、「お気に入りのカツ丼」を食べた日である。掛かり付けの医院に血圧の診察と薬を貰いに行った。待合室のテレビでニュースがあり、血圧降下剤で2名が死亡したという。
 死亡した方が服用した薬は副作用の明記がされてなかったこと、そのほか色々な問題もあるようだ。
 私もそうだが、医師の診察と処方には、かなりの人が信頼していると思う。今回、亡くなった方は特別な人なのだ、と。本当にそうなのか、なんて考えることもない。
 ネットを見ると、私の飲んでいる薬のジェネリック製品が、医師の診断も要らずに買えてしまうことを知った。個人輸入代行で香港などからくるようだ。医師の診断を受けて買うと、診察料+薬代となる。保険があるので安くなっている。輸入代行は、もっと安い。
 医師に診察してもらうと、患者の状況に合わせて薬の処方も変わることがある。輸入代行で買うのは、体の状態を無視することである。
 しかも、その薬をすすめるサイトは、いかにも信頼できるように作られている。
 本当に病気と闘ったり、苦しんでいる人から見ると、そういう方々は、いわゆる金儲けだろう。だまされなければいいが、と思う。

画像は私の服用している薬。

ポケットの持薬を忘る女正月 じゅん
雪晴や薬の手帳また忘る じゅん
外来の隅マフラーの忘れ物 じゅん
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お気に入りのカツ丼

2016年01月14日 | じゅんの折々の記
 ときどき無性に食べたくなるものがある。私の場合は、カツ丼がその一つである。そのほか天丼もそうだが、私の住むまちに天丼を出しているところはない。それでスーパーの天丼弁当を買ったりする。あるいは、自分で材料を買って作っている。ラーメンも焼きそばも自分で作ることが多い。うどん、そば、ラーメンは、麺を自分で作ったりする。
 カツ丼は、自分で作るよりもいつも行く店の方が断然おいしい。同じまちにある、よい豚肉を使う店があるが、そこのカツ丼よりもおいしい。
 ほどよい脂身があって厚みのある肉。玉子で閉じて香ばしいしょう油の香りがする。べたっとせず、半分ほどはしっかり固まっている。かけたつゆが、かけ過ぎでなく、ちょうどよい具合だ。
 カツ定食では有名なチェーン店などもあるが、安ければいいというものでもない。高いからいいというものでもない。値段は食べ物と相応していればいいわけだが、問題はおいしいかどうかだ。
 カツ丼は玉子で閉じてつゆをかけるので、その差は歴然であろう。
 味を守ることは、食べる人の喜びを守ることである。このカツ丼を超えようとするのは難題である。

画像は、窓際で撮ったので色が半分飛んでしまった。

銀雪の明りカツ丼の半分に じゅん
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切干大根

2016年01月13日 | じゅんの折々の記
 平成28年1月12日午前中、地区公民館の地域の作品展の準備作業に行く。
 お昼は、おにぎりと鱈の吸い物が出た。カブの漬物、白菜の漬物、そして切干大根の煮物もあった。
 画像はネットから拝借した。画像を撮るのを忘れて食べてしまった。
 切干大根は、干すことによって水分が飛ばされ、甘みが凝縮されるようだ。味付けもなかなかよかった。こういう手間ひまかかる作業は、冬に備えての保存食というばかりでなく、ご馳走でもある。

切干は日の匂いして風の岬 平戸美那子

 よい句である。
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物忘れ進行中?

2016年01月11日 | じゅんの折々の記
 年のせいか、よく知っているはずの名前が思い出せなかったり、さっきまで覚えていたことが思い出せなかったりする。いわゆる物忘れが時々ある。
 また、物忘れではなく、勘違いというものも起こる。勘違いの場合は、ほかの人と話をしていて、違うことを話をしているのである。
 物忘れと勘違い、最近は時々起こるということが分かっているので、ああ、また勘違いをしたと気が付くと、最近は頻繁にあるなと思ってしまう。
 物忘れは病気であるという記事があった。その治療法もあるそうだ。物忘れの原因は、ストレスや睡眠不足、生活習慣、老化などがあるらしい。また、勘違いは、いま話をしようと思っていることと、違う記憶が結びついてしまう。いま話をしようとすることに、別の記憶を引き出してしまう。それも脳の老化といっていいのだろうか。
 我々の生活、つまり思ったり、行為することは、意識に基づいている。いま考えていること、いま意識していることと、過去の関連した意識を呼び出す行為がうまくいかない。違う意識内容を呼び出していいるのに、そのことに気づかないのである。
 これは必ずしも老化によるということばかりではない。勘違いは若くても起こるだろう。しかし、歳を取ると勘違いが増えることも確かであろう。メモをしながら話をすれば、ある程度は早く気づくことができるだろう。そういうふうにいちいちメモをとることもできない。
 また、場違いなことを深く考えずに言ってしまうことがある。酒を飲んだ時などは要注意である。言いたくていうわけでもない。言ってしまっているのである。言うべきでないようなことを言ったり、自分だけの自己満足で話してしまうことがある。
 こういうことを考えると、やはりどっか注意力というか、常識力というか、意識の歯車が緩んでいるのかもしれない。
 まあ、そういうことに気づいているうちは、まだいいのかもしれない。これからは、自分が自分がという、自分がしなければという肩肘張った思いをしない方がよい。若い人がやろうとしているのならば、そういう人に任せていいんじゃないか。必ず自分が正しいこともない。
 そういう切り替えは、必ずしもうまくいくわけでもない。努力が必要なこともあるだろう。場所をわきまえるというようなことは、努力も必要だろう。俺が俺がという気持ちはなくならない。無意識に出しゃばってしまう。
 やはり、もっと自分にとって課題を持つべきだと思う。反省することはいくらでもあるだろうが、反省ばかりをして過ごすことにも無理がある。むしろ、そんなことを忘れるほど、別次元の課題を持っていることが一番良いと思う。
 そういうわけで、ことしは、自分にとって大きな課題を二つ持つことにした。日々を貫く課題である。いわば生活の柱である。
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