「永久平和を願って」の碑
「永久平和を願って」の碑
豊島区東池袋3-1
昭和53年にサンシャインビルが建てられ、当時は、日本一の高層ビルとして騒
がれたが、ここにはかつて「巣鴨プリズン」といわれる監獄があった。
古くは明治28年、石川島から警視庁監獄の支所を移し、その後大正11年に、
巣鴨刑務所と呼ばれ、昭和12年東京拘置所と名を変えた。
その東京拘置所が、昭和46年小菅に移転されるまでの長い間、ここには監獄の
歴史がある。
第二次大戦後は、市ヶ谷の極東軍事裁判所によって裁かれた戦犯として、東条英
機などが刑を執行された。
その歴史は、サンシャインビル隣の東池袋公園の石碑に、わずかに痕跡をとどめ
ている。タウンガイド池袋より _____________________________
第二次世界大戦後、
東京市谷において極東
国際軍事裁判所が課し
た刑及び他の連合国戦
争犯罪法廷が課した一
部の刑が、この地で執
行された。
戦争による悲劇を再
びくりかえさないため、
この地を前述の遺跡と
し、この碑を建立する。 _______________ 「永久平和を願って」の碑
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「永久平和を願って」の碑
豊島区東池袋3-1
昭和53年にサンシャインビルが建てられ、当時は、日本一の高層ビルとして騒
がれたが、ここにはかつて「巣鴨プリズン」といわれる監獄があった。
古くは明治28年、石川島から警視庁監獄の支所を移し、その後大正11年に、
巣鴨刑務所と呼ばれ、昭和12年東京拘置所と名を変えた。
その東京拘置所が、昭和46年小菅に移転されるまでの長い間、ここには監獄の
歴史がある。
第二次大戦後は、市ヶ谷の極東軍事裁判所によって裁かれた戦犯として、東条英
機などが刑を執行された。
その歴史は、サンシャインビル隣の東池袋公園の石碑に、わずかに痕跡をとどめ
ている。タウンガイド池袋より _____________________________
第二次世界大戦後、
東京市谷において極東
国際軍事裁判所が課し
た刑及び他の連合国戦
争犯罪法廷が課した一
部の刑が、この地で執
行された。
戦争による悲劇を再
びくりかえさないため、
この地を前述の遺跡と
し、この碑を建立する。 _______________ 「永久平和を願って」の碑
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