OrganFreak

ハモンドオルガンに魅せられたオッサンのブログ

ジャズオルガンの生い立ち。

2006年05月24日 | つぶやき
アメリカ国内の主要都市で[オルガンル-ム](オルガンのみを聴かせる小さなオルガンクラブ)が流行った時代、労働階級の人たちは、一日の過酷な仕事を終え、リラックスするために[オルガンル-ム]にやって来ました。

そこで彼らが聴いたジャズオルガンの音楽には、よく冷えたビ-ルとフライドチキンかバ-ベキュ-・スペアリブがよくあいました。このようなクラブで演奏するオルガニスト達は[チトリンサ-キット]と呼ばれた中西部から東海岸の間を旅していました。自分たちのオルガンやレスリ-スピ-カ-をクラブに運んで行くために中古の霊柩車や救急車を買ったものまでいました。

他の多くのオルガン奏者たちにお手本をしめしたのはジミ-.スミスでした。ほどなく多くのクラブでは自前のHammond B-3 organを購入し、ジャズオルガンはソウルミュ-ジックと呼ばれ、気難しい評論家や音楽業界のリ-ダ-たちの酷評にもかかわらず、アメリカにおける最もポピュラ-なジャズの形になりました。

ジャズオルガン奏者たちの間には連帯感が芽生え、各プレイヤ-達がお互いのアイデアや演奏技術を分かち合いようになるにつれて、その絆はより強固なものになって行きました。事実、彼らは互いから学びあって行きました。正式な教えというものは何もありませんでした。ジャズオルガンがこれほどポピュラ-になったのは偏に彼らのジャズオルガンに対する愛情と敬意があったからに他なりません。

オルガンバトル、オルガンサミットもこの頃から始っています。これは2人以上のオルガン奏者が集まり一緒に演奏することで、1台又はそれ以上のオルガンを使用しました。仲間のオルガン奏者の力量を試したり、打ち負かしたりする機会もありましたが、実際にはアイデアを交換したり、この音楽に対する愛情を分かち合う場であったので演奏者も聴く人にとってもとても楽しいものでした。
(Pete Fallico氏のジャズオルガントリビュ-トのライナ-ノ-トより)

この素晴らしいジャズオルガンの歴史をつくったジミ-・スミス、ジャック・マクダフ、ラリ-・ヤング、ドン・パタ-ソン、リチャ-ド・ホルムス、ジョニ-・ハモンド、チャ-ルズ・ア-ランド、シャ-リ-・スコット達はすでに亡くなっています。彼らの血と汗と涙なしにはつくることが出来なかったジャズオルガンの素晴らしさを、一人でも多くの方に聴いてもらいたい一心でジャズオルガンライブを手掛け、各地でオルガンサミット他のオルガンコンサ-トも開催しています。ライブ、コンサ-トに一人でも多くの方にご来場していただきオルガンジャズの楽しさを分かち合えたらと思っています。

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2 コメント

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おはようございます! (トシ・服部)
2006-05-25 12:38:06
 山本さん、おはようございます。仕事から帰ってきてブログを見るといつもほっとします。



 「ジャズオルガンの生い立ち。」おもしろかったです。朝からいい勉強になりました。



 チャールズ・アーランドいいですね!小野先生にオルガンを習い始めてからいろんなオルガンプレイヤーの演奏を聞いてみたくなり少しずつCDを聞いてるのですが「BLACK DROPS」というアルバムでチャールズ・アーランドを初めて聞いて「うわっ、ええ感じのオルガンやなあ。」と思いました。2曲目のDON’T SAY GOODBYE と 3曲目のLAZY BIRD が大好きです。チャールズ・アーランドはとても熱い演奏をするけれど、すごく暖かい感じがします。



 20代の頃にギターのエリック・ゲイルのTOUCH OF SHILK というレコードをレンタル・レコード屋さんで借りてテープに録音してよく聞いたのですが、つい最近「かっこいいオルガンが入ってたけどあれは誰だったんだろう?」と思って調べてみたらチャールズ・アーランドだったので「おおっ!」と思ってなぜかうれしかったです。でも肝心のテープのほうはどこかに失くしてしまって出てきません。



 それでは山本さん、またオルガンのおもしろい話を教えてください。またよろしくお願いします。
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服部さん31日待ってます。 (organ_freak)
2006-05-25 22:00:24
服部さんいつもコメントありがとうございます。31日のライブ待ってます。
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