今のお稽古場に来て半年以上が経ちました。
同じ裏千家でも
ちょこちょことほんの少し細部が違ってて
毎回少しずつ、少しずつ修正が加わります。
私みたいに途中からお教室に入る方が
今の先生のところでは少ないらしく、
先生にいつも「ふふふ」と微笑まれる。
その理由は、
どうやら私の手付き(お手前の手付きや動作)が
14代目の淡々斎宗匠らしい。
現在は16代の坐忘斎宗匠だから、
淡々斎さんは彼のおじいちゃんにあたる人。
「以前私を教えてくれた先生は
きっとかなり高齢の先生に習っていらっしゃったんだね」
…と言うことは、50年以上前の形ということか、私のお手前は?
手順や手付きに基本大きな変化は無いけれど
やはり代代独特の、があるらしい。
そして、今、先生が他の生徒さんに教えている手付きと
私の手付きにちょっと違いがあって
でも先生は私の手付きが好きらしい(笑)
それは先生のお母さん(代々茶道の家柄らしい)の
手付きに似ているらしく、とても懐かしいんだとか。
歴代の宗匠の手付きは現代よりも
より心と一体になれるような気がするから好き、と。
だから私の修正?をするよりも
生かしておきたいとよく語ってくれる。
しかしながら如何せん、
どれが淡々斎さんで、何が坐忘斎さんで、
む~よく分からないけれど
思うことはひとつだけ。
私は今の先生のお手前の手付きも
以前習っていた先生の手付きも好きだということ。
興味深いことは、
お道具を丁寧に扱うことや
指先までふんわり意識することで
自分の心の状態のみならず
見ている人(お客)の気持ちまでホッとさせる。
最近、その作用を実感する。
気を遣わずに気を遣う、とか
細部まで神経を集中させる、とか
そうさせるように意識を向けることじゃなくて
何も考えない素の状態で
それが自然という、自分の「ふつう」という仕草になる
できるとか、
するとかじゃなくて
そんな状態が
自分のニュートラルの状態になりたいなと思う。
そしてそれら
「今」をつなげて、今になる。
それをどこまで辿り着けるだろうか。