軌道エレベーター派

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宇宙進出の真の優位性とは

2014-06-22 13:58:33 | その他の雑記
 1969年に人類は月到達を果たし、次なる目標には火星が取り沙汰されることが多いようです。月に人を送ったのは米国でしたが、火星に一番乗りするのはどこ、あるいは誰でしょうか? そしてそれを決定づけるファクターとは何でしょうか? 今回は、有人宇宙飛行の真の優位とは何かについて少々。

 宇宙進出において、技術と資源は当然必要になります。しかし技術は一定水準をクリアすれば必要最低限のことはできるようになり、有人飛行の基礎技術は、すでに先行した宇宙開発先進国が確立してくれました。資源に関しては、やはりある程度豊かな国でなければ、人間を地球外天体へ送る余裕などは生じないし、技術の取得・応用も困難でしょう。有人宇宙飛行の可否について、ここである程度の足切りラインにはなるかも知れません。
 しかし、そこから先を決定づけるのはテクノロジーや経済力などではない。「どれだけ人命を軽視できるか」です。世界には人権をあまり尊重しない国が少なくない。そういう国が、上述の「必要最低限の技術と資源」を有していたら、数で勝負してくる。火星を例にとると、何基も宇宙船を建造し、「窓」(火星への最短コースの軌道投入タイミングのこと)が開こうと閉じようと、色んな装備や軌道などで片っぱしから送り込んで、1人でも生きてたどり着けば一番乗り。しかも「本人の意思で帰ってきません ( ̄▽ ̄)ウソデス」なんてこともやりかねません。最近オランダで火星移住希望者を募集した団体があるそうですが、片道切符なんだそうで、自由意思でこれをやろうということですね。どこまで本気なのか知りませんが。
 実際、宇宙開発の初期に旧ソ連がやっていたことはまさにこれであって、ガガーリンは生還率五分五分と踏んでいたとか。しかも椅子に固定されてほとんど動けず、装置の一部みたいなもんだったそうです。それでも生きて帰れればいいですが、宇宙開発史上初の犠牲者となったウラジミール•コマロフなんざ、生還できないのわかっててソユーズに乗せられ、最後の数分間はスタッフや共産党に呪いの言葉を吐き続けたという説があるそうです。

 一方、情報化や民主主義が成熟した国では人権尊重は重要な存立基盤であり、平たく言えば、死者が出れば権力者はビビるわけです。「責任をとりたがらない責任者」が政界にも官僚機構の中にも山ほどいて、危ない橋なんて渡りたがらない。バクチを打って失敗すればネットで拡散し叩かれる時代です。情報公開は文明的成熟の基本とはいえ、国家的冒険にはむしろ邪魔なものとさえ言えます。米国はスペースシャトル「チャレンジャー」の爆発事故で7人が死亡してもシャトルをやめませんでしたが、当時は冷戦の最中だったという背景がありますし、「コロンビア」の熱分解事故の時には、すでにシャトル計画は終息へ向かっていました。確かに米国は、国の威信をかけているだけあって、犠牲を乗り越えて宇宙開発を進める気質を今も持ち続けている国だとは思います。それでも「数打ちゃ当たる」方式を同時スタートでしかけられたら、火星に国旗を立てるのを奪われてしまうかも知れません。
 また、「追いつけ追い越せ」という立場の宇宙開発途上国の方が、国民一丸となって共通の目標に邁進するテンションが高いものですし、政教一致国なども宗教的信念から自己犠牲(殉教)をいとわなかったりしますから、技術の成熟が必ずしも宇宙進出を決定づけるとは言い切れない。

 これは火星に限ったことではなく、月への回帰や小惑星探査など、様々な場面に言えることで、「本格的な宇宙進出」や危険なミッションの段階に明確化してくると思われます。むしろ技術面でフリーライドできる分だけ、後発の方が得なことも多いでしょう。
欧米露はまだまだ宇宙開発をリードしていますし、無人ミッションでは日本も「かぐや」「はやぶさ」などベンチマーク的な業績を上げています。しかし、有人計画において真のポテンシャルを有するのは、まったく別の国々かもしれません。何十年、何百年先、宇宙に進出した人類の版図は、今とはまったく異なる構成になっているのではないでしょうか。
 


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