中学1年生の頃、親父の仕事の関係で東京練馬に住んでいました。
畑だらけで大根畑がいっぱいありました。
石神井公園で爆竹使って戦争ごっこしていて
警察に捕まりました。
現在光が丘の場所は米軍の住居で、
夜、柵を破って中に入りMPに追いかけ回されたりしていました。
豊島園も破れた柵から勝手に入り込んだりして花火を見ました。
この頃の東京の冬は寒く、毎年1,2回は大雪が降り、
ブランコに乗れないぐらい積もり、
かまくらや雪だるまを作ったりして遊んだモノです。
まあ、そんなことはいいとして、
ある日小学校の同級生の水野クンから
春休みに旅行に行こうと誘われました。
行き先は能登半島一周。
国鉄の周遊券で行こうという話になりました。
国鉄は自由席で乗り放題。
泊まるのはユースホステル。
でも、お金がなくて
食事は一日一食のみでした。
輪島の朝市で試食品をむさぼり食べたり、
朝起きると、ユースホステルの布団カバーが
唾液でシミになるほど空腹の旅でした。
寒風、雨や雪でずぶ濡れで震えながら旅を続けました。
ヒッチハイクも泥と濡れネズミの自分たちには厳しかったです。
日が暮れてやっと100台目に停まってくれたりして。
でも車に乗ったとたん疲れて爆睡してしまったりして。
脱水でやっとたどり着いたユースホステルが
食事終わるまでお茶を飲んではいけないお寺で
死ぬほど辛かったのもいい思い出です。
こんな中1の男二人旅にも出会いがありました。
同じ東京から旅行に来ているという中2の女の子2人組です。
ひとつだけ年上でしたが、
内気な自分にとってはとても大人びた女性に見えました。
このうちの一人はすごい美人で、
自分はイチコロになってしまいました。
でも、小学校時代から好きだった滝沢さんと栗原さんが
心の中にはいたし、
とにかく内気だったのであまり話もできませんでした。
でも滝沢さんと栗原さんよりドキドキしてしまったのは確かでした。
水野クンはやんちゃで積極的な男だったので、
この2人とはたくさん話をしていました。
同じ所に泊まることはなかったのですが、
能登半島一周で所々でこの2人とは再会することとなったのです。
そして旅も終わり・・・
やがて自分家は東京を出ることとなります。
中学時代・高校時代・大学時代・社会人となり、
いろんなことがあり、
宮古島で残り少ない?人生を過ごしていたある日。
一通の手紙が届きました。
30年振りの手紙:後半へ続く