釜石の日々

格差が生まれた背景

第二次世界大戦は膨大な軍事費を費やした英国を疲弊させ、国土が無傷で、欧州へ軍需品を輸出した米国を繁栄させた。戦後は、共産主義の台頭もあり、米国は経済力と軍事力で、民主主義的資本主義の盟主となった。この米国の経済運営の基本はケインズ的福祉国家の推進であった。戦前の大恐慌で米国は英国経済学者ケインズが唱える国家財政の出動による経済の浮揚策を取り入れた。いわゆるニューディール政策であった。しかし、1960年代に入ると、ベトナム戦争への軍事費がかさみ、日独などの敗戦国が急激に経済を発展させ、米国は財政赤字と国際収支の赤字を抱えるようになった。ゴールドを裏付けとするドル基軸体制であったため、各国はドルとゴールドの交換を求め、米国のゴールド保有量はたちまち減少して行った。米国はついに1971年、ドルとゴールドの交換を停止せざるを得なくなる。オイルダラーとして、産業のエネルギーである石油の取引をドルで行うサウジアラビアとの密約を取り付けることで、ゴールドの裏付けを失ったドルを基軸通貨の位置に何とかとどめさせることが出来るようにした。しかし、ドイツをはじめ欧州や日本の産業の発展は目覚ましく、米国産業は疲弊してしまった。事態を打開するため、1980年に登場したレーガン政権は新自由主義を掲げて、資本の自由な活動を許すため、規制となるものを次々に撤廃し、資本の自由を阻害する労働組合も弱体化させて行った。と同時に、競争に負けた製造業から金融へと産業を大きく転換した。この新自由主義は自国だけでなく、資本のグローバルな活動を許すために、同盟国へも導入を求めた。米国に対して追従一辺倒である日本は急速に新自由主義を導入し、次々に規制撤廃、民営化と労働組合の弱体化を進めて行った。この時の規制とは敗戦後に設定された民主主義的な福祉を目指した制度である。国家の役割は富の再配分にある。日本は戦後、格差のない国と言われていた。しかし、1980年代からの新自由主義の浸透は、富の再分配機能を次々に排除して行った。これを加速させたのが金融経済の勃興でもある。金融経済とは富めるものがさらなる富を得る仕組みである。米国は日本へ新自由主義を導入することを求めただけでなく、米国に残る製造業を保護するために安い円を改めるよう求めて来た。1985年のプラザ合意で円はその後急速にドルに対して上昇し、円高が進み、日本の輸出産業は大きく打撃を受ける。円高不況となり、これに対して日本銀行は金利を下げて行った。この金利低下が日本の資産価格を押し上げ、いわゆるバブルを生み出した。1991年、ついにそのバブルが崩壊し、日本経済は急降下した。以来、日本では低金利が現在まで長期化している。特に2008年のリーマンショック後にはゼロ金利となり、現政権ではマイナス金利までになってしまった。現政権はマイナス金利により円安を誘導し、日本を代表する大企業のほとんどを米国の金融機関に売り渡してしまった。リーマン・ショック後、先進各国で導入された低金利は資産価格を押し上げ、持てるものをさらに豊かにし、今や世界は格差が拡大し、社会不安が造成されてしまった。フランスのイエローベスト運動もその表れである。日本も例外ではなく、1999年には社会学者の早稲田大学人間科学学術院教授である橋本 健二は『現代日本の階級構造――理論・方法・計量分析』を著している。2006年には一般向けに『階級社会――現代日本の格差を問う』も著した。スイス人の世界的に投資界では知られたマーク・ファーバーMarc Faber氏は今月1日の書簡で、世界の多くの国で進んだ格差拡大について危機感を述べている。「米家計の最富裕層が家計資産増分のすべてを刈り取ったことがわかる。憂鬱になるのは、FRB統計よると、資産下位50%の中央値が2006年以降実際に下落している事実だ。」所得・富の格差拡大のほとんどが量的緩和など金融緩和の産物であり、富める者がますます富むことになった。次の金融危機は凄まじいものになる。その時、世界は社会的にも大荒れになる可能性がある。
オオバンたち
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