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もんく [とある港街の住人]

寄り集まらないで生きる方法を今から考えよう

SNSが広まって以来、全員がとは言わないがかなりの人達が広告屋になってしまった気がする。自分の何かを宣伝する。場合によってはお金の為だ。それは特に悪い事だとは思わない。やりたきゃやれば良い。

でも、そんな必要の無い人達もその作法に習って広告屋っぽくなってしまっている。人間らしい感じが薄れてきて、だんだんと単なる機能になっている感じだ。企業が広告する場合は企業全体を誰かにわかってもらおうとなんかしなくて、良い面だけ、売上にプラスになると思われる面しか出さないのは普通だ。個人でそれやってもねえ、とちょっと思う。

もうちょっとテキトーでも良いと思うし、別にフォロワー集めようなんてしなくても良いのにと思う。

 

ところで、そうして広告したりするのもそうだし、イベント的な事するのもそうだけど、日本社会での通念として「人を多く集めるのが成功の証」ってのがある。経済の論理から言えばそれは正しいわけで、SNSで個人が何かやって宣伝したいのもその為だろう。そして政治のやり方も同じだ。

ま、悪い言い方すると、「自分自身で何も考えないで誰かに従って一箇所に集まる」ってのがその成功の実態だ。要は中心に正しい神様がいて、考えない人達が取り囲んでいる構造。一度集まればそこはもう平和なオアシス。

 

うーん、何かもっと別の成功モデルって考えられないの?と言うところだが、今のところそれは普遍で不変なんだろうなあ。何するにも人がお金落としてくれないとって事はあるわけだし。よほどの天才でもなければそれ以外のやり方で豊かになったり成功を実感する事ってできないのだから。

自分の場合、そう言うのはきっとできないと心の底で固く思ってしまっているからまあ、今後もしないだろう。どっちかと言うと一生涯海の上に浮かぶ船の中で暮らしたいし、もしかしたらアフリカの隣の家まで数キロありそうなサバンナみたいなところで暮らしたいな。

真面目な話、建築とか考えていると(建築学学んでいる)、どうしても人と人の関係を考えたり都市みたいな漠然としたものの機能を考えたりするわけだけど、技術がもうほんのちょっとだけ発達したりコストがほんの少し低くなれば砂漠のような場所で他人どうし寄り集まらないで生きるってできるようになるはずと考えている。今からその為にすべき事やデザインは考えておくべきだなと思っている。

 

下は最初に作った方。交換した。

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