2011.2.22(火)
現在、日本国内でジャイアントパンダが見られる施設は神戸市立王子動物園の1頭と和歌山県白浜町にあるアドベンチャーワールドにいる8頭の2ヵ所のみである。
東京の上野動物園では、2008年4月に雄の陵陵(リンリン)が22歳余で死んでしまっていた。そこで新たに中国からつがい一組を借り入れる契約が成立し、21日夜遅く上野動物園に到着した。名前は雄が比力(ビーリー)、雌は仙女(シィエンニュ)という。これを迎えた報道陣は上野動物園始まって以来の多さだったそうである。パンダの人気は依然として衰えていない。なにしろ客寄せパンダと言われるぐらいだから、入場者の減少に悩む上野動物園の力の入れようも分かるというものだ。
ところで、上野動物園に初めてパンダが来たのは1972(昭和47)年で、カンカンとランランの2頭であった。テレビで報道された当時の熱狂振りは今でも鮮明な記憶として残っている。
カンカンとランランは子どもを生む前に死んでしまったが、次のフェイフェイとホアンホアンの間には子どもが生まれたりして生存が続いていたが、2008年4月にリンリンが死んで上野動物園では途絶えていたものである。
パンダは絶滅危惧種であり、この新たなつがいで子どもの誕生を見ることが出来るかどうか日中両国の友好のためにも成功を祈りたい。
現在、日本国内でジャイアントパンダが見られる施設は神戸市立王子動物園の1頭と和歌山県白浜町にあるアドベンチャーワールドにいる8頭の2ヵ所のみである。
東京の上野動物園では、2008年4月に雄の陵陵(リンリン)が22歳余で死んでしまっていた。そこで新たに中国からつがい一組を借り入れる契約が成立し、21日夜遅く上野動物園に到着した。名前は雄が比力(ビーリー)、雌は仙女(シィエンニュ)という。これを迎えた報道陣は上野動物園始まって以来の多さだったそうである。パンダの人気は依然として衰えていない。なにしろ客寄せパンダと言われるぐらいだから、入場者の減少に悩む上野動物園の力の入れようも分かるというものだ。
ところで、上野動物園に初めてパンダが来たのは1972(昭和47)年で、カンカンとランランの2頭であった。テレビで報道された当時の熱狂振りは今でも鮮明な記憶として残っている。
カンカンとランランは子どもを生む前に死んでしまったが、次のフェイフェイとホアンホアンの間には子どもが生まれたりして生存が続いていたが、2008年4月にリンリンが死んで上野動物園では途絶えていたものである。
パンダは絶滅危惧種であり、この新たなつがいで子どもの誕生を見ることが出来るかどうか日中両国の友好のためにも成功を祈りたい。
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