名古屋から発するブログつぶて・凡人のひとりごと

身の回り、世間のできごとをを日記風に記す(紙つぶてならぬブログつぶて)。

今朝の中日新聞社説 反骨の新聞人・桐生悠々を取り上げる

2013-09-12 14:03:52 | Weblog
2013.9.12(木)
 「戦争と平和の資料館ピースあいち」の常設展示の中に、反骨、抵抗の新聞人として桐生悠々のことを記載したパネルがある。悠々は新愛知新聞や長野県の信濃毎日新聞などで編集、論説などの主筆を務めたジャーナリストである。
 その中に、彼が1933(昭和8)年8月11日付けの信濃毎日新聞に書いた「関東防空大演習を嗤う」という記事がある。
 その趣旨は、敵機の襲来に備えて関東一円の上空で多くの航空機が参加して大々的に行なわれたが、敵機を帝都の空に迎え撃つようなことではすでに我が軍の敗北である。打ち漏らした敵機の爆弾によって木造家屋の多い東京は一挙に焦土と化すであろう。帝都に侵入する前に迎え撃って射落とすか撃退しなければならない。こうした作戦計画の下に行われるべき防空演習でなければならない、というものである。
 この記事が在郷軍人会の怒りに触れ、悠々は信濃毎日を追われてしまった。
 悠々は、太平洋戦争開戦の3か月前に68歳で亡くなったが、死ぬまで個人誌「他山の石」を発行した。発行停止処分をたびたび受けながらも、軍部や外交・内政への批判を続けたという。
 今朝の中日の社説は、戦後の新憲法による平和主義を安倍晋三首相率いる自民党政権が根本的に変えようとしていることに対して、強い姿勢で警鐘を鳴らしているものである。
 自民党の憲法草案では、自衛隊を「国防軍」に改組し、現行憲法では禁じられている集団的自衛権も行使できるようになっている。さらに安倍政府は、「特定秘密保護法案」の策定作業も進めている。
 社説は、こうした動きにきな臭さを感じるといい、権力者が国民を間違った方向に誘導するのなら、それに警鐘を鳴らすことこそ報道の役目だと強調している。
 そして、悠々は「言わねばならないことを言うのは義務の履行」であり、「義務の履行は多くの場合、犠牲を伴う」と言っている。また「蟋蟀(こおろぎ)は鳴き続けたり嵐の夜」という悠々の句をとらえて、中日の社説は「もし今が再び<嵐の夜>であるならば、私たち新聞は<蟋蟀>のように鳴き続けなければならない。それこそが私たち報道に携わる者の義務の履行」だと書いている。
 胸を打つ文章であり、主張である。いまや中日新聞のジャーナリストとしての姿勢は他新聞を大きく引き離している。