今年も年始に新年式を行いました。冒頭会長の挨拶の内容は『まず、こうして健康でいられることに“感謝”する。そして1年誠実に“努力”しましょう。』というものでした。『誠実努力』は弊社の社是でもあります。至極最もで、人として大切な姿勢だと思いました。
しかしこの“感謝”と“努力”について、最近ちょっと感じたことがあります。私自身もそうですが、なかなか“感謝”というのができない。その訳についてです。結論から言うと、人は“努力”するから“感謝”できない、のではないかということです。
“感謝”というのはある良い結果が出たときに、他者にたいしてするもので、それはその良い結果が他者のおかげでなされたことを意味します。つまり、自分の“努力”の及ばない力への思いです。しかし、自分が一生懸命“努力”して、やっと手にした成功であれば、他者へ“感謝”することができるでしょうか。まして、その結果を『幸運(ラッキー)』だと評価され、だから“感謝”しろと言われれば、意地になって“感謝”しないのが人間ではないでしょうか。
『人間は、努力すればするほど、“感謝”しなくなる。』
そんな仮説になんとなくひっかかりながら、さまざまな“成功者”のインタビューや著作物を思い出しました。そこには、少なからず他者への感謝の気持ちが表れていました。私の立てた仮説とは真逆です。『感謝の気持ちはありません。』なんて言ったら、大バッシング受けるから、口先だけで感謝してるんでしょうか。その可能性も否めませんが、それでも、自分の努力の土台には、他の人のさまざまな支援や助けがあって、だからこそ努力が報われたことを、真の成功者は知っているのだと思います。『自分一人で成功したのではない。』だからこそ、まず最初に、感謝の対象となるのは、両親なのだと思います。その存在がなければ、自分の成功も、生命すらもないんですからね。
TD:『奈良県の小山田遺跡から、最大級の古墳が出土された。専門家も、『コヤマダ見たことないねえ。』と言っているとか。』
私も感謝が足りないと言われた事がチラホラと、、、(-_-;)
なので最近は武田双雲さんのブログや本を読んだりして
楽しく考えながらまずは意識改革・そして行動へと
移していけるよう、忘れないよう心がけてます。
周囲に変わったなと思ってもらえるまでにはまだまだかもしれません。
>周囲に変わったなと思ってもらえるまでにはまだまだかもしれません。
⇒周囲に変わったと思われるかどうかが指標というのは、同感です。
⇒それから、感謝するコツは、自分ができないことを人にじゃんじゃん頼んでしまうことではないかと。例えば質問するなんていうのも、答えてくれれば『ありがとう。』って言葉が自然に口をつきますよね。