88. 安川氏「連合国と日本、イタリア・ドイツと日本の青年の政治意識の違い。どうしてこのような違いが形成されたのか。『アメリカ独立宣言』と『学問のすすめ』を比較し、これから見ていきたいと思います」
89.安川氏「福沢は最初のベストセラー『西洋事情』の中で、『アメリカ独立宣言』が紹介されました。一カ所だけ誤訳があるそうですが、見事な名訳だと言われています。その中で『国民が政府を立る所以』を説明しています」
90.安川氏「命を保持し、自由を求め、幸福を追究するという国民の基本的人権のために政府を作る。政府のやることがその趣旨にあわないときは、新しい政府を作ることもできる。その基本精神を忠実に紹介しています」
91. 安川氏「同じ福沢が『学問のすすめ』の中で、日本における『人権宣言』をします。そこで、まず問題なのが、その時に言われる『自由』が武士道の『面目名誉』という曖昧なものに変更されている点です」
92.安川氏「さらに問題なのは、『政府を立る所以』が、基本的人権の確立・擁護のためであるという、『アメリカ独立宣言』の要である、政府の存在理由を紹介していない点です。逸脱した政府に対する国民の 『抵抗権・革命権』も意図的に外しています」
93.安川氏「また、社会契約論を恣意的に用い、政府と国民の関係について『今の政府の法に従うべし、と条約(社会契約)を結びたる人民なり』と定義します。ここから、『一度国法と定まりたることは…小心翼々謹みて守らざるべからず』と主張するのです」
94.安川氏「さらに『(政府が)いくさを起こすも外国と条約を結ぶも…政府の政に関係なき者は決して其事を評議す可からず」と第7編にはあります。社会契約思想から、都合のよい部分だけ持ってきているのです」
96.安川氏「国法への一方的な服従を言い、それを自発的に行うことを啓蒙していたわけです。国民を、国家の客体・お客様にとどめておきながら、それでいて、国のためには財を失うのみならず、一命をも、という滅私奉公を説いたのです」
98.安川氏「暗い昭和の時代の人々は、『学問のすすめ』の教えを忠実に守ったかのように、政府が始めた侵略戦争を『評議する』ことがありませんでした。福沢諭吉にすべての責任があると話しているわけではありませんが、残念な大きな問題だと考えています」
106.安川氏「日本軍には、このような意味での自発性がありませんでした。日本で戦争責任意識が生まれない理由はここにあります。兵士たちは、上官の命令に従ったまでだ、何も勝手な行動をしていない、としか思わないわけです」
107.岩上「現憲法下でどう振舞うかについて、天皇には責任がありますね。言動に非常に気をつかっている様子がうかわれますね。憲法記念日には『憲法を守る』と明らかなメッセージを発しました。安倍総理以下の改憲勢力に唯一立ち向かっています」
109.安川氏「日本軍性奴隷問題が解決されず、日本は戦争責任では世界の孤児にあります。福沢がもしアジア太平洋戦争の時代に存命であったなら、日本軍性奴隷構想に反対することはなかっただろう、と私は書きました」
110.安川氏「この推測の根拠は簡単です。一つには、福沢は、近代日本の家父長制的、差別的な女性論を体系化した人物だからです。とりわけ、公娼制度の積極的な賛成論者でした。さらに公娼制を外国に輸出することまで賛成しています」
111.安川氏「二番目に、福沢は、アジア諸国民に対して、差別意識をむき出しにして、日本国民がそれを血肉とするまで扇動した人物です。三番目に、彼の戦争勝利への異常な熱意を考えると、『野蛮』なアジアの女性を犠牲にすることは厭わなかったでしょう」
112.安川氏「四番目に、福沢は、世の中をおさめていくという観点からみるならば、公娼制度は必要であるという考えの持ち主でした。ただ、こう言いながら、娼婦たちを差別して『賎業婦人』とも呼んでいるのです」
113.安川氏「そして、その『賎業婦人』の海外輸出が、日本の資本主義の発展の為に必要だと、堂々と社説に書いています。一つは外貨を稼ぐという意味。もう一つは、外地にいる日本の兵士の相手をするという意味です」
114.安川氏「そのような娼婦が帰国後、かなり稼いで家まで建てたというような嘘まで書いています。実際には、そのような娼婦たちは、外地でのたれ死にするような悲惨な人生を歩んでいたわけですが」
119. 安川氏「1900年、樺山内務大臣を足尾への視察に派遣が決まります。しかし福沢はこれに猛反対する社説を書きます。『被害農民の大衆的な請願運動を、政府は断然職権を持って処分』するべき。一毫も仮借してはいけないと主張します」
120.安川氏「侵略や武力行使を合理化するために、アジア蔑視観を福沢は説いてきました。それが暗い昭和の兵士たちに継承されていきます。近藤一さんという90歳を超える方が、『不戦兵士・市民の会』の語り部として自身の戦争責任について語り続けておられます」
121.安川氏「ある村を襲撃して赤ん坊のいる女性を捉え、強行軍の中同行させ、裸にしてして歩かせた。歩き終われば、抱けるのだということです。休憩中に一人の古参兵が赤ん坊を谷底へ放り込んだ。母親もその後を追ったそうです」
122.安川氏「福沢には『チャンチャン皆殺しにするは造作もなきこと』『支那兵のごときは豚狩の積りでやればいい』という言葉がある。これに対応する近藤さんの証言に『中国人は“チャンコロ”で“豚以下”だと自分たちは思っていた』というものがあります」
123. 安川氏「近藤さんは、罪の意識なしに中国人を殺せるようになったのは、小学校の時から、中国人は“チャンコロ”で“豚以下”だという日本社会の蔑視観があったからだと証言しておられます。そして、中国人への差別意識が、戦争を起こした原因だとされています」
124.岩上「今、書店でも嫌韓・反中の本で溢れかえっていますね。路上では在特会のようなものを封じ込めるところまできていますし、ヘイトスピーチに対する国際社会の目は厳しい。しかし、今の日本は危険な所に来ていることには変わりはありません」
125.安川氏「『差別意識が戦争を起こす原因だ』という近藤さんの証言は重要です。家永三郎さんは著作『太平洋戦争』の中で、侵略戦争が阻止できなかった要因として、『隣接アジア諸民族に対する日本人の言われのない侮蔑意識』を挙げています」
126.安川氏「考えてみると福沢という人は、アジア蔑視の意識を近代日本人のメンタリティになるまで仕立て上げました。同時に、近年のヘイトスピーチが、東アジアに対する同様の排外侮蔑意識を煽るものとして、私は心配しています」