-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

回り道して畑沢へ

2020-11-27 16:20:39 | 自然

 山形から畑沢へ行くとき、背炙り峠を通れるときは必ずそこを通るのですが、もう7年間ぐらいは大体,通れなくなりました。毎年、延々と雪が融けると工事を優先します。そこで尾花沢の町から古殿、延沢を通るときが多くなりました。しかし、今回(令和2年11月15日)は珍しく尾花沢から徳良湖、袖原、六沢、延沢(三日町)、細野を通ってみました。御利益がありました。中学校時代の同級生と再会して懐かしい顔を見ることが出来ましたし、他の同級生の近況なども教えて貰いました。

 村山市内では天気が良かったので、「むらやま道の駅」で休憩して甑岳を眺めました。村山市大倉地区のフットパスに参加してからは、甑岳を眺めるにも深い趣を伴うようになりました。甑岳の手前の山には、楯岡城跡があります。山全体が城跡になっています。

 

 道の駅の西側には、葉山が薄く雪化粧しています。葉山がカルデラだったのかどうかは分かりませんが、そのカルデラ状の内側に見える雪模様に横縞が見えました。地層が反映しているものだろうと撮影したのですが、上手く撮れていません。

 

 袖原でもきれいな青空です。遠くに葉山と月山が並んで見えました。山形からは葉山と月山の位置が逆です。さすがに兄貴分の月山は、完全に雪で覆われています。

 

 三日町から細野地区に入ろうとしたとき、シンボルの一つ、大平山が聳(そび)えていました。写真の中段を横切っている黒っぽい模様は、朧気川です。

 

 細野からの道は畑沢の「東の沢」を通ります。畑沢へ下り切ろうとする辺りで、熊野神社(おぐまんさま)が顔を出します。何本かの樹齢四百年と思われる大杉が取り囲んでいます。

 

 県道へ合流する前に、千鳥川の上流方向(南)です。中央の遠くに見える山に「背中炙り峠(古道)」があります。県道が通る背炙り峠は見えません。右に畑沢地区生涯学習推進センターが見えます。

 

 夏の間に繁茂していた雑草が萎(しぼ)んでしまい、視界が開いています。千鳥川の中の「大堰(おおぜき)」と呼ばれていた下畑沢の堰が全体の姿を見せています。今では川幅が3m程度の小さな施設ですが、護岸工事が行われる前の昔は堰は10mぐらいあったような気がします。堰の前に「大」が付くのも納得できる規模でした。幅は狭くなりましたが、段差が大きくなり、さらに永久的になりました。魚道が付いていませんので、イワナ、ウグイなどが遡上できなくなりました。これよりも上流にはウグイは生息していません。ウグイはもっと下流で産卵して、その後に毎年、遡上していたようです。イワナはむしろずっと上流で産卵していますので、遡上できなくなっても上流に棲息しています。ただ秋にイワナが産卵しようとしても、ここで足止めを食らっているようです。朧気川に棲息しているイワナとの交雑ができなくなり、遺伝子の多様性が狭くなっているでしょう。あっ!脱線してきました。好きなことになると夢中になります。「ザッコシェメ」の世界です。

 

 大堰の上です。堰の上流側には大きな淀みができますが、長期間の間に単純な浅場に変わりました。とても昔のように水泳ぎはできません。でも毎年やっていた「堰上げ」の重労働からは解放されました。

 

 中畑沢から下畑沢方向を撮りました。初冬の風景です。奥の右の山は最上町にある禿岳です。去年のこのころに、私はあの山頂にいました。



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