-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

田の沢川の石

2017-09-23 17:38:29 | 自然

 昭和2年(西暦1927年)に徳専寺住職の青井法善氏が書かれた「郷土史之研究」というものがあります。青井法善氏は畑沢の人でした。その中からこのブログで何回か紹介してきました。今回は、延沢地区のことが書かれている部分を私の「いきあたりばったり」方式で紹介します。

 さて、2年前に延沢城跡が国の文化財指定30周年記念の式典がありました。その場に、私のとある分野での師匠(仮に「師匠」としておきます。)も同席されていました。その方が「ちょっと待ってろ」と川の方へ行って、瞬く間に何やら石を持ってこられました。見ると、平たい石がさらに平たく剥がれていました。延沢の珍しい「〇〇石だ」とおっしゃっていたのですが、いつものように私は「〇〇石」のところを完全に忘れていました。

 

 しかし、「郷土史之研究」にめぐり会って、同書の延沢について書いてある次の文が気になりました。

 田の沢川の石

明治大帝東北御巡幸の際御覧に供した石で阿るかト之も記念したい。

(明治天皇が東北を巡られた時に、見ていただいた石であるかと思われ、これは記念にしておきたい。)


 私は郷土史之研究の「田の沢川の」と師匠の「〇〇」を結び付け、また郷土史の延沢と師匠が持ってきた場所が延沢であったことを結び付けてしまいました。ただ、田の沢川なるものを延沢城跡の近くで聞いたことがありません。そこを流れる川は、前田川(まえだがわ)しかありません。延沢地区の他の場所でも、田の沢川はありません。「田」の文字が共通していますが、果たして同一の川なのでしょうか。いくら考えても分かりませんので、ここは広い気持ちで、田の沢川は前田川に名前が変わったのであろうと結論することにしました。例えば、畑沢川がいつの間にか千鳥川になっていた例もあります。閲覧者にはいろいろと御不満もあろうかと思いますが、スビタレ流はこんなものです。従いまして、はなはだ短絡的ではございますが、この石を田の沢川の石とさせていただきます。私は青井法善氏の可愛い後輩であり、私の家は徳専寺の檀家でした。青井法善氏はきっといい加減な私を許して下さるものと思っています。

 さて、この石はどんなところが珍しいかと言いますと、既に上に書きましたように「薄く剥がれる」ところです。「頁岩」と言われている海底に泥が堆積して岩になったものです。しかも、堆積した層に沿って薄くページをめくる様に剥がれる特性があります。師匠の〇〇石は、柔らかい頁岩ですので、特に産業的な利用価値はありませんが、硬い頁岩の場合、例えば宮城県石巻市の雄勝石は硯やスレートとして使われます。ただ、常盤地区では丹生川も朧気川(花の木川)も火山岩が主ですので、このような頁岩が川にあるということは珍しいものです。

 ところで世界的に見てみると、しばしば頁岩には貴重な化石が含まれています。典型的なものはカンブリア紀の生命の大爆発が記されているバージェス頁岩が有名です。師匠の〇〇石にもとても貴重な化石があるかもしれません。根気よく薄く剥がして化石を探してみませんか。


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