-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

古殿の実相院にお邪魔しました(その1)

2016-08-13 20:16:06 | 歴史

 畑沢へ向かう途中、古殿で足を止めることになってしまいました。以前から、左側に大きな石仏「湯殿山」があることを承知していましたので、自動車のスピードを緩めて脇見運転をしながら湯殿山の辺りを眺めながら走っていると、「実相院」なる文字が見えました。私は最近、「〇〇院」なる文字に敏感になっています。江戸時代の各村に必ず一人程度いた山伏のことが気にかかっていたからです。畑沢の山伏は、正徳四年(西暦1714年)の畑沢村高反別差出明細帳に出ている「正福寺」、延享四年(西暦1747年)の金剛院御改帳に出ている「正学坊」の名前があります。畑沢の山伏には「院」は用いられていませんが、他の村の山伏の名前には、殆ど「院」が付いていました。それで、「もしや、古殿にも山伏がいたことがあって、実相院と名乗っていたのではないか」と思った次第です。私は古殿の歴史についても、全く知識がありませんので、私が行動を起こすきっかけは総て「思いつき」です。車を降りて、直ぐに説明らしきものがありました。その中に「庵主」なる文字も見えました。畑沢にも庵主が住んでいたと言われている堂が二つありますので、その点でも比較する興味が増えました。

 先ずは湯殿山です。過日、投稿した細野村の湯殿山と同じく、大きな石材を使っています。年号を探しましたが、残念ながら見えなくなっていました。「三月」だけが見えます。尾花沢市教育委員会の社会教育課には、ある熱心な職員が調査した尾花沢市内総ての石仏の専門的な報告書がありますので、それを見せていただけば分かるのかもしれませんが、あいにく畑沢以外のことまで調べる熱意がありません。何しろ、魚と飛行機だけでできている「頭」ですから。 

 さらに奥へ進むと、興味が湧くことが次々と出てきました。続きは、後日、投稿いたします。



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