-畑沢通信-

 尾花沢市「畑沢」地区について、情報の発信と収集を行います。思い出話、現況、自然、歴史、行事、今後の希望等々です。

「オイヌ越え」の伝説(1)

2013-07-16 11:28:21 | 伝説

 昔々、畑沢にもオオカミがいたころのお話です。ニホンオオカミは、明治時代に絶滅してしまいましたが、このように伝説として残っていると、オオカミは身近な生き物だったのだなあと思います。この伝説は、三つの文献に記載されています。先ずは、昭和41年に尾花沢高校郷土研究部調査した「尾花沢伝説集」から紹介します。

-43 オイヌ越え- (以下は原文のままです。)

 オイヌとはオオカミのことで、昔、玉野から楯岡方面へ越える道が通っていた。

 しかし、ここ畑沢はオオカミの通るところで、せっかくの道路もオオカミに荒らされてしまうので、ここに古峰神社を建立し、オオカミをまつったところ、それからのちはオオカミが荒らさなくなったと言うことである。そこでこの場所をオオカミ越えと言う。

 

 これと同じような伝説が、「郷土 Ⅱ」(昭和45年 楯岡高校社会部)には、次のように記載されています。

(以下は原文のとおりです。)

…。江戸時代の寛政の頃まで西の沢に「おいぬ越沢」という小字名があったということです。昔玉野原一帯に狼の群れが生息していて、夜になると畑沢を通って峠越して村山方面まで遊びに出ていったそうです。その狼を退散させるため下畑沢の源右ェ門という人が寛政年間に三峰神社を造ったと伝わっているほどです。…

 

 以上のとおり、二つとも短い伝説です。表現は異なりますが、情報源は同じと考えた方が良いでしょう。この伝説のことについて、畑沢の複数の人に聞いてみましたが、御存じありませんでした。畑沢では一般的ではなかったようです。かなり伝説に詳しい方だけが御存知だったのでしょう。二つの調査は、もう半世紀も前になりました。御存知の方を探すのは、至難の業です。

 最初に伝説の神社を探してみましたが、そもそも「古峰神社」や「三峰神社(みつみねじんじゃ)」という神社は、現在、畑沢のどこにもありません。別の角度からの検討が必要です。参考までに、隣の細野には古峰神社があり、個人で管理されているそうです。

 ところで、当時の尾花沢高校で郷土研究部を指導されていた渡部昇龍氏が、平成3年に「尾花沢の伝説」を発行されました。その中に「オイヌ越え」という題で同文が掲載されていて、下の写真のとおり、下畑沢の熊野神社が「古峰神社」として紹介されています。

 「三峰神社」は、江戸時代の享保年間(1716~1736年)から山犬信仰と密接に結び付いたと言われています。伝説にある寛政年間は1789~1801年ですので、畑沢にも山犬信仰は広まっていたと考えられます。そうなると、狼を治めるなら、古峰神社よりも三峰神社の方が合理的です。また、先のブログ「熊野神社裏の万年堂」で紹介しました祠について、私に教えてくださった古老が「みつぶねさま」と発音されたように記憶しています。それは「みつみねさま」が長年の間に訛って「みつぶねさま」になったのではないかとも考えられます。渡部昇龍氏が紹介した熊野神社の向こう側(南側)が、その万年堂がある方向に合致しています。渡部氏にこの伝説を紹介した人が、神社の位置を説明する時に方向として熊野神社を指差したので、熊野神社を「古峰神社」と間違ってしまったのではないかと思われます。

 「郷土 Ⅱ」の資料8に記載されている「村社 熊野神社縁起」によれば、熊野神社が建てられたのは、明暦元年(1655年)となっていますので、寛政年間よりも133~146年も前のことです。熊野神社を伝説の三峰神社又は古峰神社とするのは、かなり無理があると思われます。現在の万年堂を伝説での「三峰神社」とするのが、よろしいのではないでしょうか。この万年堂は、通常の万年堂よりもはるかに大きくて、屋根の一辺が1.5m屋根だけでも100kg以上の堂々としたものです。「祠」を「社」と言い間違えた可能性があります。素人の自由な想像です。

 次回に続編を投稿します。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿