朝日新聞の特派員がイラン・テヘランより、中村哲医師の功績を感じる話を伝えられています。
「近所の精肉店で、肉をさばいてくれる30代の男性店員と顔なじみになった。ある時、私が自分のことを日本人だと話すと、まっすぐに私を見つめて『中村さんのことは申し訳なかった』と言った」そうです。「アフガニスタンで井戸や用水路を作り続け、4年前凶弾に倒れた医師、中村哲さんのことだ」ったそうです。〜なんでイラン・テヘランで?!
「男性は、紛争などの影響でイランに移り住んだアフガン難民の一人だった。北東部の村に生まれ、家庭の経済的事情から20歳で軍に入った。イスラム主義勢力のタリバンと戦ったが、2年前にタリバンが首都を占拠。逮捕されることを恐れ、密輸業者の助けで隣国イランに逃れた」そうなんです。〜イランが隣国とは知りませんでした。
「男性が中村さんの存在を知ったのは、その死がアフガン国内で報じられてからだ。大国の介入と紛争が繰り返されてきた自国の歴史を踏まえ、私に言った。『外国人は外貨と銃を持ち込んだ。中村さんはパンと真心を持ってきてくれた』」
「自国の利害と関係なく、人々のために尽くす支援。その大切さを改めて胸に刻んだ」とありました。〜中村哲医師の活動がアフガンの青年の心に届き、イランでも生き続けていると教えていただきました。
(下:2023年9月12日 朝日新聞−テヘラン・佐藤達弥「中村哲さんがくれたもの」より)