LiC通信

本の紹介を中心に、その時期に感じたこと思ったことを書いています。

石川啄木 ふるさとの山に向ひて

2007年07月13日 | エッセイ

「千の風になって」このうたや詩を知らない人はいないくらい有名になりました。

 

昨年の紅白では歌も披露されました。

 

もともとはネイティブインディアンの間で伝えられた詩ということしかわからず、

 

作者不明のまま今や世界に広がりました。

 

あの9.11のテロの犠牲者にささげられたことがきっかけです。

 

とてもいい詩です。

 

愛する人を亡くし、残された人々の心を癒す不思議な力があります。

 

その曲を書いたのが新井満さん。

 

今回は石川啄木です。

 

わずか26歳と2ヶ月でこの世を去りました。

 

その間に有名な詩を残しています。

 

「ふるさとの山に向ひて」「一握の砂」

 

そして「はたらけど はたらけど 猶わが暮らし楽にならざり じっと手を見る」

 

この一連から啄木は貧しい農家の出身で、田を耕す手を見つめて、

 

田の土を握り締め、田畑から見える山に向かってこれらの詩を読んだのだとばかり思っていました。

 

彼は岩手県で寺の息子として生まれます。

 

子どものころから成績は優秀でした。

 

13歳の時に知り合った初恋の人と結婚します。

 

 

上級生に金田一京助がおり、その影響もあって文学を志します。

 

与謝野鉄幹、晶子も訪ねます。編集の仕事を希望しますが叶いません。

 

小学校の代用教員や新聞社の遊軍記者になりますが、大火に会い学校も新聞社も焼失苦しい生活がつづきます。

 

その後も新聞社で働きながら歌を書き続けます。

 

処女歌集「一握の砂」は彼が倒れる前年に出版され、

 

一首三行書きの独特の歌風によって注目されます。

 

この短い人生で書き綴られた詩を、

 

新井満は35年もかかって「啄木・組曲」として完成させます。

 

新井の趣味はお墓参りです。

 

これまでも有名な画家や作家,時代の英雄たち数え上げればきりがないくらい訪問しました。

 

しかし死者との対話を意識してお墓参りをしたのは石川啄木だそうです。

 

35年前函館にある啄木の墓を訪ねました。

 

献花して、目を閉じ心の中で「こんにちは」とつぶやきました。

 

すると「何処の、だれだ」とお墓の中から声が聞こえてきました。びっくりしました。

 

こうして啄木との対話が始まり新井は組曲作りを相談します。不思議な話です。

 

最初は自分の詩は31文字では短すぎるから歌には無理だといわれたのですが、

 

一首だけでは無理ですが、残された歌を組み合わせてそれに曲を作りたいとお願いします。

 

そうして出来たのが啄木・組曲です。

 

第一章ふるさとの山に向ひて

第二章一握の砂

第三章啄木さすらい

第四章啄木慕情

第五章東京銀座午前二時

 

お墓にいる啄木との共同作業によって出来上がった感じがします。

 

ふるさとの山に向ひて