矢口記念大森ユニオン歯科

矢口記念大森ユニオン歯科 院長が綴る、ブログです。

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病葉(わくらば)のいのち

2014-07-31 17:55:55 | 歯科以外

 7月の連休に94歳になる母を連れて散歩に出かけた。猛暑から逃れる為でもあり、足腰の衰えを少しでも防ぐ為でもある。山中湖畔に三島由紀夫・徳富蘇峰の文学館があり、せせらぎや木漏れ日の中を文学の小路が廻っていて、とても気持ちよく歩くことができる。所々に富士山や山中湖にゆかりのある文人達の句碑や歌碑が置かれていて、句や詩歌を楽しむこともできる。長い距離を一気に歩けない母には足休めにもなり都合が良い。その中に富安風生の俳句の館「風生庵」が比較的最近出来たようで、古民家を移築改装した展示館になっていた。長い縁側に腰を下ろしてしばし休憩した。

木戸や長い縁側は綺麗な木目が活かされている。縁側のある古民家の造りは、家の内と外の隔てを全く感じさせないから不思議だ。縁側に座っている心地よさは、空間的にそのまま内と外とがつながっていることもあるが、散策してきた森の樹木と、かつてその樹木であった木材で作られた家の、過去から現在の時間的な調和というべきものもある。その縁側は美しい木目を見せている・・・つまり木という素材とその使い方(設計)も重要なのだと思う。これも日本人の知恵であり、日本の歴史と文化の成せる凄技(スゴワザ)と言って良いのだろう。

ここまで歩いてくる途中で、いろいろな落ち葉の中にほとんど葉脈だけになりかけている一枚が目に止まった。思わず手にとって見ると細かな網目模様が実に美しい。朽ち果てて土に戻る過程にこれほど美しい姿をみせる時があるとは、正に自然の妙としか言い様がない。比較のために黄色く色の変わっただけのものも一枚拾って、二枚一緒に持ち歩いていた。

 

 

そして、風生庵の縁側に腰を下ろした時に、二枚の落ち葉も一緒に何気なく縁側に置いた。それを見た時に、また私は驚かされた。次の写真である。自然の妙に偶然が重なった実に不思議な写真になっている。一種のだまし絵とでも言うのであろうか。だまし絵という表現は相応しくないが、木の葉と縁側の板の年輪が区別できない程見事に調和して溶け込んでしまっている。黄色く変色したもう一枚の落ち葉も、木の命の移ろいと調和に十分役割を果たしていると思う。

 拾った落ち葉を病葉(わくらば)と言ってよいのかどうか定かではないが、命の移ろいを感じさせる言葉なので少し考えてみることにする。 

病葉や大地に何の病ある         虚子
わくら葉のしんぼうづよくはなかりけり  一茶

という句を見つけた。私としては、これ程の美しさや驚きを与えてくれるのであるから、

病葉や何の病もなかりけり  
わくら葉のけっこうしんぼうづよいかも

とでも言いたくなる命の輝きがある。 

病葉や病あるとも輝けり
病葉や大地に帰る命かな

古民家の縁側という木の日本建築の持つ時間的、空間的凄技の中に、私が偶然持ち込んだ病葉であったからこそ、同じ木の葉が見事に調和して、その命の一瞬の輝きを見ることが出来たのだと思う。

 

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