大泉ひろこ特別連載

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ウーマンリブ敗れたり(52)さらば民主。モラトリアム時代

2017-01-11 09:32:57 | 社会問題

 2012年11月、党首討論最中に、野田首相は突然、「三党合意を守る、選挙区の票格差を是正することに協力してくれるのですね、では、解散しようじゃありませんか」と叫んだ。対する安倍自民党総裁もその唐突さに驚いたくらいだ。自民党としては、もう野党はこりごり、早く解散に持ち込んで、この次の選挙は情勢からして勝つことは自明だと思っていた。 そうして始まった総選挙だ。このいきさつは「民主党の死体解剖」(2013年 非売品 ホームページの同名アイコンに収録)に詳しく書いたので、ご参照いただければ幸いである。

 民主党はどん底にあった。少なくも何か一つでも明るいニュースを提供して党勢を回復してから選挙にするのが常套であった。のちに聞けば、野田さんは自民党との連立政権を考えていて、自分は総理を継続するつもりだったそうだ。でなければ、来年度予算編成中に解散し、自分が追放される身になることを自らやるわけがない。ところが、自民党は勝ち過ぎた。自民党の単独過半数は行かないだろうとの野田さん側の甘い予測は外れたのだ。

 一期生143人中141人が票で敗れた。数人は比例復活したが、まさに全員死亡に近い。大臣経験者は、むしろ大臣経験者であるからこそ民主党失政の責任を問われて落選した。もともと選挙に強い松下政経塾と労組だけが残った。民主党は元の木阿弥になったのだ。ついでに、小沢グループも惨敗した。民主党と袂を分かっても、同情は集まらなかった。

 私自身の選挙も、2009年の票に比べ4分の1にまで減った。いかに脆弱な基盤だったかが判明した。現職なのに、掲示板のポスターすら張りきれず、演説会は数人しか来ないという有様。選挙の内側の体制すら整っていなかったわけだ。それに、現職弱しと見られて、維新の会など6人の候補者が乱立する選挙になった。私は、敗戦の弁を簡単に語って、これからどうすべきかに既に心は向いていた。結局、翌2013年の9月に総支部を解散し、一切の民主党会合を欠席して、党費を納めずに離党した。民主党の上衣を脱ぎ捨てたい気持ちが強かった。

 山口県から撤退するときは、勉強したい強い思いがあってオーストラリアに渡ったが、今回は気持ちが曖昧で、何か決心がつくまで時間を緩やかに過ごそうと思った。それまで休載していたブログをせっせと書き始めた。先ずは「民主党の死体解剖」。民主党で仲の良かった同僚に送った。好評だった。次には高齢者問題を書いた「長寿の涙」。政治哲学を世代間の会話で書いた「団子より花へ」。いずれも量的にまとまった段階で冊子にしたが、売り物にする気はなかった。むしろ自分のために書いたようなものだ。だんだん調子に乗ってきて、次は、小説にしようと思い立ち、「ザ・コーセーショー」を書いた。これも冊子にして、心ある後輩などに送った。「このモデルはXさんじゃないか」「とにかく面白い」という手紙ももらった。

 若き日に自分がなりたかったのは、作家であり、次には学者だった。だから、書くことは大好きだ。しかし、いすれも才能なしと思い、行政マンで飯を食ってきた。私が生涯にわたって莫大な時間を費やしたのは、行政であり、政治であった。政治をおいそれと捨てるわけにはいかない。私の出した結論はごく当たり前で、次期総選挙に無所属で出ようと決めた。事務所を土浦からつくばに移し、最小限のスタッフで継続することにした。

 地域回りを再開すると、真実が見えてきた。地元の支援者の最大公約数的意見は、「一度だけ民主党に賭けたが、うまくやれなかったので、自民党に戻ることにした」だった。私が無所属でやり直すことには賛成が多かったが、果たして「選挙に勝てるかなあ」と懐疑的でもあった。2014年末に早々と総選挙のチャンスが巡ってくるのだが、それまでの短い期間は、今にして思えば、私の人生のモラトリアムであった。働きづくめの私の人生初めての猶予期間であった。

 モラトリアムは、公には何もやっていない期間であったが、私的には変化があった。数理生物学を専門としている息子が北大で博士号を取り、東大数学科でポスドクをやるというので、私の家に帰ってきた。12年ぶりに親子一緒に過ごすことになった。私は、アメリカナイズされた考えであったから、子供は18歳になったら親元を離れるべきとの方針だった。彼は、この間、思慮深くなり、膨大な本を読みこなしていた。数学や量子力学の本が多くて、私は興味をそそられることはなかったが、彼の科学的説明は実によくわかった。

 その後、彼は国立研究所に就職し、北大時代に付き合っていた同窓の女性と結婚式も挙げた。結婚式の日、私は、かすかに涙ぐみ、息子はそれを目ざとく気付いていた。「お母さんたら、朝から泣いていたね」。息子の保育園卒園式でも涙が出たのを覚えている。他には忙しくて式なるものに出たことはないが、子供の節目というのは、自分のこと以上に感慨深いものである。ここまで成長してくれるとは有難いことだ。その思いは涙に形を変えて溢れ出てしまう。

 2013年8月、私は、アムステルダムからドイツに向かう列車の中で足元に置いた鞄をすり取られた。25歳から40年間、国際社会をほしいままに歩き回ってきた私が初めて遭った災難である。東欧からの移民かジプシーの仕業であろう。私は、日本国大使館のあるハーグに戻って、紛失したパスポートの発行まで、安宿を借りて過ごした。手元銭が少ないので、毎日、スーパーで缶ビールのハイネケンとサンドイッチなどを買って食べ、狭い街ハーグを隅々まで歩きつくした。人生には、悪い意味での節目もあって、離婚の時は給料袋を落としたし、政治的破局の今回は財布もカードも盗まれた。悪い節目には悪いことが起きるらしい。心ここにあらず、だからね。

 

 

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