ママーズ・ボーイ、和製英語ではマザコンは、リベラチェの代名詞でもあった。ロンドン訴訟でも、ゲイと並んで論(あげつら)われたのは、彼のマザコンぶりである。リべラチェは逆に「母の健康を脅かす誹謗中傷」と明言して提訴に踏み切った。この頃、つまり1950年代の彼の音楽番組で母の日特集を行ったことがある。リベラチェは、「私にとっては毎日が母の日です」と言って、母に捧げる歌として「あなたが全て白髪になっても、僕の愛は変わらない。あなたの目、あなたの姿は美しい・・・」とうたいながら、例によって最後は母フランシスの頬にキスをした。まるで、恋人である。いくら何でも食傷気味だ。
マザコンは、日本では、90年代初頭のテレビドラマでマザコン冬彦さんが世間に流行り、以降、独立できない男の象徴として否定的にとらえられてきた。しかし、アメリカでは、母思い、母を大切にすることはどちらかと言えばいいことである。世界的には、家族を大切にするラテン系や、男系重視のインド、中国、韓国などは、むしろあからさまに母親に愛情を示す傾向がある。南米の慈母マリア崇拝はその象徴である。また、筆者が住んだインドでは、20代になっても母親と寝ている男性がいたり、公園などで、男性同士が手をつないで歩いているのをよく見かけた。だからと言って、マザコンやゲイの現象だと言うのは早計で、それが当たり前の文化なのだ。日本人も、筆者の世代では、酔っ払って男同士が肩組んで歩いているのを見た外国人が、日本はゲイの国と誤解していたのと同じだ。
マザコンと言えば、またぞろフロイトやユングの登場になるが、彼らの説はもう学問的に支持されていない。そもそも心理学者の書いたものは検証不能なものが多く、こういう育ち方をするとこうなる、の類は矛盾だらけの例証で、結局確かなものはない。むしろ、パラサイトシングルなど多くの流行語を生んだ山田昌弘氏のような家族社会学のアプローチの方がはるかに納得がいく。社会学的に観れば、マザコンが当たり前のイタリア系と婿入り婚伝統のポーランド系を家族の基礎にし、貧しい移民家族が結束して生きてきたリベラチェの例は、当時のアメリカ社会が作った産物であることは頷ける。
さて、冬彦さんはフィクションだが、日本の実在人物でマザコンと言われる人は誰であろうか。筆者は、限られた情報によれば、時代は古いが森鴎外がその一人ではないかと思う。1862年生まれの森鴎外は、石見の国津和野(現・島根県)の出身で、代々続く藩医の家系を母峰子が継ぎ、長州から父静男を婿に迎えた。峰子は士族の誇りを持つ、凛とした美しい女性であった。鴎外が藩校を終えた10歳の時に一家は上京し、彼は12歳で東京医学校(現・東大医学部)に入学する。
鴎外は、ドイツ留学、小倉への赴任時代を除き、峰子が亡くなるまで同居していた。峰子が鴎外に最も大きな影響を与えたのは、1899年(明治32年)、陸軍省の第12師団軍医部長として、九州小倉に赴任するときのことだった。鴎外はこの「左遷人事」に悩み、陸軍省を辞めようとまで考えた。同期が軍医総監に昇進する中、地の果てと思われる遠隔地へ赴任するのである。彼が文学に熱中したからだとか、理由は様々だが、鴎外はドイツ留学以来、医学の研究を許されず、得意のドイツ語を駆使して翻訳ばかりやらされていたのも不満であった。しかし、峰子の一言は彼の辞意を吹っ飛ばした。「ここは忍耐。辞めてはいけない」。
結局鴎外は3年後東京に戻され、同期より8年遅れで軍医総監まで上り詰めたのだが、峰子の判断は正しかったのである。また、峰子だからこそ、失意の鴎外を支えることができた。鴎外は、東京では、文京区千駄木に観潮楼と名付けた大きな邸宅に30歳から60歳まで住み、父母と祖母も同居していた。留学後の最初の結婚は長男をもうけたが1年半で離婚、小倉時代に18歳下で稀代の美人志げと再婚し、新たに3人の子を育てた。鴎外は、役人として上り詰め、文豪である上にもうひとつ、当時珍しい「教育パパ」であった。子供をかわいがり、かつ時間表を作って自分も子の教育に携わった。峰子から教わった家庭の在り方をさらに近代的な発想で実現したものと思う。
峰子の存在とドイツ留学は、鴎外の女性に対する考え方を確立させた。彼は女性の能力に敬意を払い、観潮楼で行っていた歌会で樋口一葉を見出し、称讃したのも彼だ。また、平塚ライチョウ等が創刊した女権論の「青鞜」を高く評価し、妻志げにも投稿させた。当時の知識人や文化人では、極めて異例である。それも、母峰子への尊敬の念が女性への敬意に繋がったと言える。
このことは、ライバル夏目漱石と比べると、面白い。漱石は、赤子の時に養子に出され、その後実の父母の下に返されたが、子供時代は愛情に飢える寂しい日々を送った。帝大教授の名誉を捨てて朝日新聞の専任の小説家となった彼は、悪妻と言われた妻や子供たちを邪魔者扱いにして執筆にふけった。彼は、鴎外が生まれながらにして持っていた「家族」という財産に恵まれなかった。だから、漱石の女性観は、鴎外のような敬意に達してはいない。ただし、斜に構えた漱石の小説の方が圧倒的に面白く、現実直視型の鴎外よりはるかにファンが多い。
鴎外と言えば、リベラチェよりもまた一世代上だ。どちらも、信頼する母親を持ち、その上でゆるぎない業績と名誉を遺した。二人とも生涯にわたって女性を大切にしている。リベラチェは母の死から7年、鴎外は母の死から5年で世を去った。母親の影を肯定する天才の人生であった。








