わしには,センス・オブ・ワンダーがないのか?

翻訳もののSF短編を主に,あらすじや感想など、気ままにぼちぼちと書き連ねています。

限りなき夏~クリストファー・プリースト①

2022-11-28 22:42:47 | 海外SF短編
 「目の前にセイラがいた。自分のほうに手を伸ばしている。強調された明るい色彩のけばけばしさを目にした。凍りついたあの日が動かぬままでいることを見て取った。セイラの笑み、幸せそうな顔、プロポーズの受諾—それらはほんの一瞬まえのことだった。
 だが、それらは見ているまに色あせ、トマスは彼女の名を大声で呼んだ。セイラはなんの動きも返事もせず、静止したままで、そのまわりの光が暗くなった。
 トマスはまえにつんのめった。全身をどうしようもない無力感に襲われ、地面に倒れた。」


 いずこからともなく現れる「凍結者」。
 彼らは、過去を訪れ、その時代の人々の貴重な一瞬を凍結し、その部分の時の経過を止めます。切り取られたシーンは「活人画」(タブロー)として、そこに閉じ込められた人々は、その時点から、忽然とこの世から消え失せた存在となってしまいます。
 タブローは、凍結された場所にとどまっているのですが、人々は誰もそれを見ることも触ることもできず、突き当たっても気付かないまま通り過ぎてしまいます。

 サリー州リッチモンドの名家ロイド家の跡継ぎであるトマスは、キャリントン家の令嬢セイラと恋に落ち、テムズ河畔の草地でプロポーズを行い、互いに抱擁を交わそうという、幸せの絶頂のところで、二人は「凍結」されてしまいます。

 それから30年以上経過した、1935年1月、先にトマスの凍結が融けますが、セイラの方はまだ凍結されたままです。凍結にあった人間は,凍結が融けたとしても、過去,現在,未来が不安定な存在となっているため,普通の人の目には見ることができない「凍結者」やタブローを感知することができるようになっています。

 30年にわたる、トマスとセイラの不在は、不名誉な「駆け落ち」とみなされ、トマスは廃嫡、その後、両家とも、屋敷を引き払い、断絶したような状態になっていました。
 トマスは、30年後の世界に身を潜めるように暮らし、ひたすらにセイラの凍結が融けることを切望し、見守っています。

 時は流れ、1940年の8月、第二次大戦のさなか、ドイツ軍の飛行機が不時着する事故により、セイラのタブローのある一帯に火が広がる事態が発生します。


 時間を止める「凍結機」のアイデアが魅力的ですね。
 もともと、写真にはそのような機能があり、往年のことが脳裏に浮かび、ノスタルジックな気分に浸ることはよくあります。
 最高の瞬間を色あせることなく、永遠に保ちたいという願いを究極的に叶えるともいえる「凍結」は、写真と親和性があり、「凍結機」は、カメラのイメージで違和感のないガジェットになっています。(過去を閉じ込めるといえば,あの魅力的な「スローガラス」を思い起こします。)

 それにしても、この「凍結者」が一体何者で,何の目的をもってこのような干渉を加えているのでしょうか。
 人が神隠しのように消えてしまうことによる大変な影響と、凍結か融けても、凍結された人が誰にも理解してもらえない絶望はたまらないものでしょう。「拉致」の酷さを考えてしまいます。

 「ヴィンテージ・シーズン~C.L.ムーア① 」の旅行者たちは、歴史的災厄の現場を巡るタイムトラベル・ツアーを楽しむ未来人のエゴが痛烈に描かれていますが、この物語で、未来人たちが「凍結」する意図は何なのでしょうか。

 セイラの凍結が融け、過去が再び動き始めたとき、トマスとセイラの周りに、何人かの「凍結者」が集まってきます。
 凍結された者同士が、凍結の融けるタイムラグを超えて、再び相まみえる姿は、「凍結者」にとって得難いチャンスシーンです。

 ジェイン・オースティンの小説世界を彷彿とさせる古き時代の恋人が、居場所のない現在に生きるより、この瞬間を永遠にしたいという気持ちはよくわかります。
 その意味では、「凍結者」たちは、主人公の最高のシーンを演出、記録するための「黒子」に過ぎず、下手に、凍結の意図などをくだくだと書くと、儚ないきらめきを描く、作品の美的スタイルを損ねてしまうということになるのかもしれませんね。(2007.10.24アップ リライト)




 
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