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ザスパクサツ群馬の話題を中心に書いています。

熊林選手 契約満了

2012-11-12 23:35:09 | Weblog
最終戦後のセレモニー。
副島監督に続き、契約満了が発表された6選手の挨拶の後、熊林選手は自らの言葉でサポーターに退団を伝えた。
雨の中、突然の発表にどよめくスタンド。
ただ、いかにも熊林選手らしい。俺たちのクマらしい。


いったいどれだけの逸話が残っているだろうか。


高田選手が網膜はく離で戦線離脱した際には、背番号9のユニフォームでサポーターの前に現れた。

熊林劇場と呼ばれたマイクパフォーマンスは、草津劇場としてすっかり定着した。

出場停止の最終節、試合前にコアサポに挨拶に来たこともあった。

故松田直樹選手が倒れたときには、ザスパフラッグに選手の寄せ書き松本へ向かった。

松田が去った直後の試合では、ゴールを決め喪章を天に掲げた。

震災では東北人魂の一員として活躍。

萬代選手、林選手と共に、チャリティマッチにも出場した。

決起集会などでは話べたな選手にちゃちゃを入れつつ、その言葉を引き出した。

ピッチ内外で他の選手たちにアドバイスを与え、ピッチ外ではFMぐんまを通じて多くの人にサッカーと草津の選手たちの魅力を伝えようと尽力した。


...まったく語りつくすことなどできないほど、たくさんのたくさんの逸話を残した、紛れもなく草津のレジェンドだ。



熊林選手のゲートフラッグを5年間掲げ続けた人がいる。
試合前に選手が投げ込むスクイーズボール。
5年間ゲーフラを掲げ続けても、熊林選手は一度も彼の元にボールを投げてこなかったという。
最終戦、熊林選手はゲーフラめがけてスクイーズボールを投げ込んできた。

きっとクマのことだ。
自分のゲーフラを掲げてくれる彼のもとにボールを投げ込むのは、特別な一戦でと決めていたのだろう。
そこにはサインと共に「ラストゲーム」と書かれていた。
これもまたクマらしいエピソード。


クマ、5年間ありがとう。
監督として戻ってくる日を待っている。
きっとそのときには、あのゲーフラがスタンドに掲げられるだろう。