温泉クンの旅日記

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 苦髪

2006-09-07 | 雑文
  < 苦髪 >

 床屋が嫌いである。信用がならない。

 高校生のころ長く伸ばした髪形に飽きて床屋へ行き、思い切り短くしてくれと
アバウトな注文をつけるとクラブ活動の疲れから本気で眠りこみ、起きて鏡のなか
に孫悟空のような自分を発見し、泣き笑いを必死でこらえたことがある。



 どうやら田舎出の見習い娘の練習台となって最終的に五厘の丸坊主にされたのだ
った。田舎で短くといえばボウズしかないのかもしれない。おでことかの髪の生え
ぎわは、定規をあてたようにキッチリまっすぐ直線になっている。

 こ、これは一体全体なんなのだと怒っても後の祭りであった。寝入り泣きじゃな
くて、泣き寝入りだ。髪が伸びるまでの何ヶ月か、前後の黒板に似顔絵を落書きさ
れたりして学校中で笑いものになってしまったのである。女友達がいなくなり男友
達が増えた。
 その床屋へ二度と行くことは無かった。

 床屋はいつも同じところへ行く。髪の長さだけは注文をつける。

 前や横の髪の長さは気にならないが、後ろの髪が長くなってきて、手をまわして
掴んでその拳から数センチほど余り出すようになると、そろそろ床屋への「行き
時」となる。それでも、まだだいじょうぶ、と往生際が悪い。
「行き時」から二、三週間経ち、むさ苦しくなりきったもはやここまで、と散髪決
行にいたる。だから最近は二、三ヶ月に一回である。

 床屋の椅子に長時間じっとしているのが拷問に思えて、どうにもこうにも耐えら
れない。

「全体に2センチ詰めて、後ろはできるだけ短く」と、きわめて簡潔な指示なのは
早く解放されたいその一心からだ。この歳で一眠りして起きたら丸坊主でも困る。
 大きな鏡にうつる我が馬鹿面も正視できずに、つらく長い瞑想演技にはいるの
だ。月に一回必ず散髪にきてあの大きな鏡を平然と正視し、長々と世間話に興じて
いるひとがうらやましい限りである。

「はい、どーもお疲れさまでした」の声に、瞑想の演技をパッと打ち切り鏡にちら
っと一瞥をくれてなぜか鷹揚に頷く。鏡のなかに嬉しそうな自分がいる。
 頭の出来あがり具合などはまったくどうでも良く、拷問が終わる解放感に破顔一
笑しているのだ。スッキリ爽快な気分で料金を払いながら、次回はもっと早めに床
屋へ来ようと不思議といつも思う。まるで長持ちしない決心である。

「苦髪楽爪」といって、苦しいと髪がはやく伸び楽しいと爪がはやく伸びるらし
い。

 わたしはどちらも伸びるのが非常に早かった。
 過去形で早かったと書いたのは、温泉にしょっちゅう浸かるようになってから、
髪のほうの伸びが並みの早さになったと思うからである。
 これはいろんな泉質の効能もあろうが、きっと温泉から「極楽」気分をめいっぱ
い頂戴しているのが大きいだろう。

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