ブリコラージュの街

2013-07-14 00:08:56 | 住宅の仕事

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陶芸家のご夫婦のアトリエ住居を設計することになり、打合せが始まりました。現在のアトリエの様子を見学に、愛知県の瀬戸を訪れました。

街の中には今も煙突がいくつも立ち、街の中に埋め込まれるようにして、多くの陶芸作家のアトリエが現役で活動している様子でした。古い製陶工場や倉庫を改修して使い続けているものも多くあり、風土のなかに、陶芸の文化が深く浸み込んでいるようないるような印象を受けました。

街全体が、派手に陶芸文化を主張しているわけではありません。むしろ、街の中のあちらこちらにひっそりと潜む、文化の断片を発見することに、この街を散策する楽しみがあるようにも思います。その代表格が、使い古しの器や残った陶器・型を、垣や塀に埋め込んでデザインに生かされているもの。「窯垣」というのだそうですが、観光用にキレイにデザインされたものよりも、その奥深くにどんどんと歩いて行ったところに散在する、「余ったから使っちゃった」ぐらいの軽いノリ(?)でつくられたような無造作なものの方が、なんとも言えぬ良い味わいを出しているように思いました。もともとの用途と別の使い道をして再利用するアートを指して、レヴィ・ストロースは「ブリコラージュ」と呼んだのですが、ガウディの建築の表層を覆う装飾と同じように、瀬戸の窯垣はどこか愛嬌に満ちた美しいブリコラージュになっていました。

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街の隅々に窯元としての風情が染み渡る風土。全国にそのような地域はいくつかありますが、それぞれの風土で、永年の間に培われてきた知恵や技法というのがあるそうです。個人の造形的な才に溺れることなく、まずはその「伝統」のなかに深く身を浸し、関わるいろいろな人々の話に真剣に耳を傾け、あらゆることを吸収しようとしなければ、大切なことを得ることはできないことを、施主である陶芸家から聞きました。

今回、アトリエ住居を計画するのは、この風土から遠く離れ、多摩湖に程近い狭山の地。創作の上で慣れ親しんだ風土を離れるというのはどれほどのことでしょうか。派手で目立つ器をつくるのではなくて、他の器とも調和し、日々の生活のなかに息づく、なんとなくいいなあと思える優しい器。そのような器をつくり続ける陶芸家の家とアトリエは、簡素で、即物的で、穏やかな光に満ちたものでありたいと、じわじわと強く思えてきました。

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