よくよく思い出してみると、私は幼稚園くらいの時から、大人と
会話する能力が先天的に高かったです。また図鑑などが好きで、恐
竜や動物に関することを中心に、知識を結構持っていました。よっ
て幼少期は、周囲の大人から、かなり褒められながら育ちました。
幼心に、とても得意な気持ちでした。
ただそのせいで、大人から幼児的な可愛がられ方をした記憶がほ
とんどありません。むしろ大人から「君とはフツーに話せる」など
と言われ、普通は子供にしないような「大人の事情」について、相
談とまではいかないまでも、吐露されることが度々ありました。
今にして思うと、その辺のバランスが特殊でした。いわば、自信
は沢山あったけれど、もっと根源的な、自己肯定感の部分が不足し
ていた子供時代だった気がします。
中学校に上がっても、私は「小さな大人」のようなポジションで
あり、同級生とあまり打ち解けることが出来ませんでした。一方で、
自信を保つために「成績」や役員などの「役職」には強くこだわる
傾向があって、段々と追いつめられるようになりました。
ついに中学校二年生の時には学校に行けなくなり、またその後、
高校は何度も変わったりと、結果的に「学校生活」には多少苦労し
ました。その原因は、自身の育ち方から来るアンバランスさであっ
たと、今は捉えています。別に、それはそれで色々なことが学べた
ので、後悔はありません。ある種の「運命」だった気さえします。
ただ一つ強く思うことは、自信と自己肯定感は混同しないほうが
よいということです。
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会話する能力が先天的に高かったです。また図鑑などが好きで、恐
竜や動物に関することを中心に、知識を結構持っていました。よっ
て幼少期は、周囲の大人から、かなり褒められながら育ちました。
幼心に、とても得意な気持ちでした。
ただそのせいで、大人から幼児的な可愛がられ方をした記憶がほ
とんどありません。むしろ大人から「君とはフツーに話せる」など
と言われ、普通は子供にしないような「大人の事情」について、相
談とまではいかないまでも、吐露されることが度々ありました。
今にして思うと、その辺のバランスが特殊でした。いわば、自信
は沢山あったけれど、もっと根源的な、自己肯定感の部分が不足し
ていた子供時代だった気がします。
中学校に上がっても、私は「小さな大人」のようなポジションで
あり、同級生とあまり打ち解けることが出来ませんでした。一方で、
自信を保つために「成績」や役員などの「役職」には強くこだわる
傾向があって、段々と追いつめられるようになりました。
ついに中学校二年生の時には学校に行けなくなり、またその後、
高校は何度も変わったりと、結果的に「学校生活」には多少苦労し
ました。その原因は、自身の育ち方から来るアンバランスさであっ
たと、今は捉えています。別に、それはそれで色々なことが学べた
ので、後悔はありません。ある種の「運命」だった気さえします。
ただ一つ強く思うことは、自信と自己肯定感は混同しないほうが
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