将棋雑記

将棋に関する雑感を書き散らしています。

旧パラを検証する104

2017-04-09 04:27:00 | 旧パラ検証
旧パラを検証する104
第十号10
☆懸賞募集☆曲詰作品
A 曲詰作品を募る。毎号連続募集す、傑作を寄せて下さい。
B 本月の募集は左の二種
 1 象形イの字型-盤面イの字
 2 アブリ出しイの字型-詰上りの形イの字
C 応募規定
 1 用紙自由。一題毎に住所氏名、作意手順、主なる変化手順明記のこと
 2 締切一月十日(差出局消印有効)
 3 発表四月号誌上(予選)
 4 予選通過作品に対し投票コンクールを催し次の賞を贈呈する。
   第一位 西尾正山作将棋駒 一組
   第二位 将棋駒 一組
   第三位 将棋駒 一組
   選外佳作 粗品
  ☆コンクール投票賞は開催の場合発表す
 5 宛名 紳棋会内「曲詰作品係」宛
D 注意事項 純然たる自己の創作品を投稿して下さい。
-------------------------------------------------------------------------
 鶴田主幹はアイデアマンで、こういう課題を与えて詰将棋の発展にも寄与したことは重要です。ただ、「イ」の字募集で、この後大騒動が起こるとは、主幹には想像も出来なかったことでした。詳しくは第15号(昭和28年8月号)で紹介します。4月号発表とあるのに、8月号発表になってしまうのでした。
-------------------------------------------------------------------------
百人一局入選記念バッヂ図案入選発表
十一月号で緊急募集した所極めて短期間であつたにも不拘三十余通に上る熱心な投稿があり厚く感謝いたします。厳選の結果次の如く入選一篇を決定しました。尚特に選外佳作として五氏には粗品を呈上しました。
○入選 福山博晴氏(神奈川県) 西尾正山作特別磨上黄楊駒 一組 呈上
△選外佳作 野崎雅男氏(東京)工藤紀良氏(秋田県)志水稔氏(春日井市)新谷富正氏(広島)安部万二氏(愛知県)
--------------------------------------------------------------------------
 これも鶴田主幹のアイデア。空前の企画百人一局集に合わせて、バッジを作成し、更に読者から図案を募るとは素晴らしいです。バッジなら何年経っても記念になって良いと思います。古関三雄氏か山田修司氏なら現在も所有しているかも?
--------------------------------------------------------------------------
作家紹介
一、住所 大阪市住吉区安立町十丁目四三我孫子寮
二、職業 日本火災海上保険株式会社大阪支店勤務
三、氏名 里見義周
四、生年月日 大正六年三月三十一日
五、家族 妻、一男一女
六、趣味(将棋以外の)俳句、酒。宜愁と号す
  ○坂田忌や天才とふも紺飛白 宜愁
  酒は大酒を嗜まざるも、毎晩なければいかぬ方にて所謂愛酒家と部に属す。
七、略歴 六才頃より将棋を指しはじむ。十才の頃近隣に敵なし。詰将棋も当時作り始めしと記憶す。後、将棋月報誌を知り選者山村兎月氏に投稿す。山村氏の懇切なる指導によりはじめて詰将棋の種々面倒なる規約あるを知り、これより作図に熱中す。
一方詰将棋に未だ理論的研究なきを遺憾とし、月報誌に連載してその研究成果を発表す。十八才にて第一回全国アマチュア選手権戦大阪大会に出場、準決勝まで勝残りしを村上八段(当時六段)に認められ、結成後間もなき関西新進棋士奨励会に入会し、プロとしての修業をなす。当時の奨励会は升田三段(現八段)を筆頭に南口初段(現八段)、星田三級(現六段)、山中三級(現六段)、大山五級(現九段-当時十二才)、本間五級(現六段)等多士済々なりしも幸い好成績を得、二十才にて入段す。
同年春大阪商大高商部卒業を機に、藤内六段より入門の懇望切にして、棋士として立つべきか否かについて煩悶、一時は専門家入りを大毎紙上に発表せられしが、両親の反対に逢ひ、遂に棋道を捨て、勤人として平凡なる生活に入る。その間、昭和十四年自作五十番をまとめ「将棋朗作選」として将棋月報社より出版す。しばらくして東京に転住、昭和十五年第五回アマ選手権大会に久方振りに駒を握り優勝。しかるに時局の切迫のため、全国大会取止めとなる。たまたま将棋月報誌詰将棋欄担当の山村氏の急逝により阿部主幹より後継選者を依嘱せられ全国の作家諸氏との交際漸くしきりなり。
同じ年、宮本弓彦氏の勧めにより、将棋世界誌に“詰将棋概論”を発表す。この論文の取持つ縁にて熱海療養中の名門有馬頼春氏と相知り、屡々その山荘を訪れ、無二の棋友となる。翌年、友人の世話にて海南島渡島を決意、月報選者を実兄義舜三段に引継ぎ、太平洋戦争開戦の興奮に湧く神戸港を出港す。在島五年、終戦により引揚後、「詰棋人」誌に“詰将棋評価論”を発表、好評を博す。爾来、指将棋及び作図よりは殆ど遠ざかり、専ら将棋理論(詰将棋を含めて)の研究を畢生の仕事となす。本誌に連載中のものはその一端なり。現在、棋格三段、第日本紡績及び協和銀行将棋部を指導す。
八、詰将棋に対する抱負及び将来への希望 詰棋人による詰将棋を確立することを急務とす。そのためにもアマチュアを主体とするパラダイス誌の永遠を願うこと切なり。
九、処女作

詰手順
一二角、同香、一一飛、同玉、三三角、二一玉、二二と迄七手
十才の頃の作なり。本局は初手一二角に対し三一玉とする変化、即ち三一玉五三角四一玉四二飛五一玉六二飛成四一玉四二龍まで九手詰の方が二手長きも、妙手説をとりこの方を変化とせり、作品としてこの点やや不完全の嫌あり、しかもこの程度の小品を果して一人前の作品と呼ぶ得べきや疑問なるも処女作として思い出深きものなり。尤も本図は後年次の如く改作せり。

詰手順
一三銀、二一玉、一二角、同香、一一飛、同玉、三三角、同銀、四一飛成、二一桂、一二銀成、同玉、一三香、同桂、一一金、二二玉、二一龍迄十七手
--------------------------------------------------------------------------
里見氏の処女作を改作した図は里見氏の作品集「闘魚」第9番に収録されています。