おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

二月(悲喜こもごも)

2014-02-18 19:58:48 | Weblog

 エッセーと言うより、この四、五日を書き立てヽみよう。
十四日「ござらっせ」の美し処が予約してあったので、昨夜来の雪の中をNバスで出かけた。
 一時間余をジャブジーや炭酸泉につかってゆっくりした。バレンタインデーなので外湯はチョコレート湯であった。
 明日は孫娘Uの結婚式なのでいつになくカットの髪をカラーで巻いてもらった。
 夕方家に帰ると、留守番電話が点滅していて義姉の死を知った。施設へ入って二ヵ月半、九十四歳動脈瘤破裂とのことであった。
 私にとって有難かったことは、喪主の都合で明後日がお通夜だったことである。
 十五日十一時半、息子一家と名駅前の「グアランクレール」と言う結婚式場へ出発した。
 広小路線を真直ぐ走った方が良かったのか高速は雪のせいなのか、すこぶる渋滞していて私の着付けの十二時半を十五分も遅刻をしてしまいはらはらした。
 十三時半からの親族の顔合わせが終わり人前結婚式が始まった。
 上司や友達やら百人ほどの大勢が、父親と腕を組んで歩み、婿殿にバトンタッチをするところを息を詰めて見守った。
 指輪の交換やベールをはねる処や誓いの言葉など粛々と式は進められ、花嫁の裾ながく引く純白のドレス姿はえも言われぬ美しさで、お相手も光ものの薄いグレーの色のスーツが良く似合う京大卆のイケ面様であった。
 最後紋付袴と振袖に衣装変えした二人はケーキを執刀した。
 永いフルコースの宴会では飲み物は選り取りみどりで、幼い頃からの写真が映し出されたり、何人かのはなむけの言葉があったりして、最後はUのナレーション入りの親に捧げる感謝の言葉があった。
 壇上に並んだ四人の親の目には涙が光っていた。私も娘の今までの労を讃えて、人知れず涙ぐんだ。
 さてその日は目出たい日なので娘には伏せてをいたが、翌日は昼間町内の期末の役員会に出席してをいて、夕方息子と義姉の通夜に出かけた。
 娘とは半月前に見舞いに行ってあったので欠礼ながら顔は立った。
 こちらも仏式ならぬ人前葬儀で二十人程が広すぎる会場でお花に囲まれた祭壇で、よくこんな良い写真が(娘の頃京都の大映からスカウトに来た人)と感心する在りし日の顔が、お花に埋もれて笑っていた。
 ティアの司会者に従ってつぎつぎと焼香を済ませ名古屋流、さぶし見舞いの助六を頂いて帰り翌日の葬儀に備えた。
 翌日は淡路からも親族が駆けつけたり、平日なので多少人の入れ替わりはあったものの総勢で八事の焼き場で一時間半待って喪主の携える写真とそんなになってしまった骨壷とで葬儀場へ帰り初七日の会食をして散会した。
 三月一日は私八十一歳の誕生日である。

 大聖人の御金言にあるように「冬は必ず春となる」    南無妙法蓮華
 

   俳句     春よ春婚の二人のシルクのロード 
           バレンタインデーチョコを入れたる外湯かな
           如月や二人とも逝きたたむ家

                 

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