おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

吟行か人の観察か

2014-10-17 12:41:18 | Weblog

 先月二十七日に御嶽山が噴火してからテレビは連日それの報道で、翌日新聞でそれを確かめるような日々が続いた。
 そこへ台風の十八号、十九号が日本列島を襲い猛烈な雨や風に各地被害が甚大で、十月は中旬まで大荒れの日が多かった。
 十六日は、これら今までが嘘みたいにすかっとした秋晴れで所属する「無限図の会」の吟行であった。
 十時半に集合して予め決めてあったメンバーが、決められた車に分乗し、先ずは愛知牧場近くの欧風の雰囲気の貸しホール「カーデン」へ行った。
 そこで八百彦の仕出し弁当をいただいてから、Тさんの「遺言書の説明要旨」「種類と留意点」の講義があった。
 次は本命の吟行句会で「岩崎城」へ、Gさんの車に乗り合わせたのは私の他にIさんとKさん。
 Iさんは私と同い年で、以前エッセー教室と、この無限図句会を紹介し合った仲なのに、そんなことなど全く覚えて居なくて今日の話しでは、週に五日もデーサービスに通っているとか、 エッセーは能戸先生が亡くなられる以前に「もう書けなくなったから」と言ってお辞めになっている。そんなに壊れて・・・
 Kさんは、私が寿句会で俳句に手を染めた頃いろいろお世話になり前を通るだけで、同席するだけで、威圧感のする二歳上の第一人者の女史であった。
 今でも句達者なのは変わらないが、私が先日謹呈した句集の、祝儀だと言ってキャッシュの入った熨斗袋を頂いたのに、何度も呉れようとなさるのには閉口した。
 又とない秋日和で黙々とそぞろ歩いて俳句を詠まなければいけないのに、以前この辺りに住んでいたので勝手知ったる筋向いとばかりに、ご法度のおしゃべりばかりをして、人との親睦を暖めた。
 人のことは言うまい書くまいと思っても遅かれ早かれ自分も同じ穴のむじなで、ちなみに此処両日老眼鏡が見当たらない。眼鏡は良いけどケースが孫が呉れたブランドもので、諦めきれずにいる。
  
    俳句  大手門くぐれば天守鳴の声
         秋冷や水琴屈の鎮魂歌

 

コメント (2)
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