ゲートボールをしている最中に、ふとその位置から目を西前方に転じた。
とそこに広がっている風景にはっとした。写真家は気にいる被写体を求めてあちこち移動するし、画家も此処ならではと言う風景を選んで脚立を立てるのであろう。
それを私は目にしてしまったのである。
春には桜の満開を誇り、終われば空を覆うように沢山の葉を拡げていた桜並木が、殆ど裸木になり数本だけが落ちきらぬ葉を深紅に染めて眩しく風にゆられている。
二面のコートと保育園の間のこの桜並木は、市の管轄であるが北に閂をつけた行き止まりの道である。
フエンスの向うの保育園では先ほどから一生懸命にあそんでいる園児達の様子が手に取るように見える。
つばのある帽子を前後ろにして被り後ろに垂れた長いつばがそのしぐさとともに何とも可愛い。ちょっと小粋に見えるこのデザインは首の日焼けを気にするゲートボールの小母さんたちが探してでも被りたいショットものである。
さらに男の子は淡いグリーンの、女の子はピンクのスモックでカラフルな三輪車をこいだり、逆上がりの鉄棒で頭を下にしたまま二人ずれで話をしていたり、砂場に埋めた車のタイヤに飛び移って歓声をあげたりと、なごやかな小春日とあいまってさながら一幅の絵を見るようで見とれてしまった。
このあたりは池を埋め立てている造成途中のまま放置されているので十三本だけの桜並木なのである。
帰りにフエンスに寄って行って見ると運動場でビニールを敷いて年中組年長組さんらしき一群が弁当を食べているので 「今日はお外でお弁当?」と声をかけるとその中の一人が「紅葉をみながらピクニック」と答えてきた。
なるほどまばらなグラデーションの葉っぱが陽に照り映えている。保育士さんも味なことをするものだと感心して、明日にはこの桜紅葉は散って終わりになると思い虫食いも混じえた三枚を自転車の前籠に入れて帰途に着いた。
俳句 霜の朝園児の靴の赤きかな
冬蝶の薄日の中を土塀越ゆ