おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

1 Q 8 4を読んで

2009-10-02 17:41:37 | Weblog

 九月三十日中日新聞、中部の文芸欄で、発刊した折に送って置いた、この「おにゆりの苑」を小説評論家の清水信氏が、「余裕派の魅力充分」と好評をして下さった。
 なので今更おずおずと蛇に怖じた感であるが、ブログを開設している手前十日も空けてはと、心機一転、口さがなくてつたない文章を、そこそこ書いて行こうと思う。
 五月頃あれだけ世間が騒いだので、村上春樹の「1Q84」を図書館へ貸し出し依頼をして置いたら、今頃になって順番がきた。
 読み出すとやめられない私は一日がかりで、一気に読んでしまったが、その読後感はぽかーんとした感じである。
 まだ(2)を読んでないので結論的なことは言えないが、これが村上作品か。
 フィクションの世界でも命がかかわれば、読み手は真剣になり、そこに身を置けば現実世界になって行く。
 それなのに、人をあやめたり、犯したりのさまざまな罪がファンタジーに依って、あやふやにされていき、あたり前の罪悪感の意義は出て来ない。
 私は又1994年頃、あばかれたオウム真理教や、やまぎしなどが、ふかいえりと言う女の子の出てきた母体なのかと思って、 真剣に熱心に読んだが、掘り下げては書かれていない。
 宗教法人のベールに隠された組織の前にはリトルピープルなる存在もわからず終いである。
 小説に過分な時代背景を期待する私の年齢が馬鹿げていて、現実には、うんと漫画チックなのが当世風というべきかも知れない。
 ただ見えないものにどれだけ真摯な気持ちで居られるかと言う古今東西かわらぬ恋愛感情はよく書けていた。
 この続きは(2)を読んでからということになる。

   俳句  木の実落つ1Q84読む窓辺
      
       能舞台舞一差しの秋思なる

コメント (1)
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