車山高原は霧が峰の一帯の中にあった。
リフトで標高千九百二十五メートルの山頂に登ると、北アルプス、浅間連山、八ヶ岳連峰、南アルプス、中央アルプスが、さえぎるものもなく、晴れ晴れと、見渡すことの出来る大パノラマであった。 空気も澄んでいた。
恒例の軽井沢山荘行は今年は二十三名で、すずらん峠近くの道の駅でチャーターしたバスの中で昼食のおにぎりをほおばった。 山荘に着くと新幹線が出来て東京駅から、軽井沢駅まで一時間一寸で来れると東京からの四人が、首を長くして待ってくれていた。
八畳や十畳間に二人か三人づつの部屋割りが終わって、ゆっくりしてから夜の宴会が始まった。
お互い喜寿ともなると、歌は二、三曲が出ただけで、積もる話に旧交を暖めた。
翌日は自由行動で旧軽井沢を、土産物屋を冷やかしながら散策し、蕎麦の昼食をした。
私も土産にとジャムをまとめて買って宅急便で送ってもらった。孫にはそれぞれのイニシアルの入ったハンカチを買った。
誰言うとなく、タクシー三台でかの有名な万平ホテルへ乗りつけカフェテラスで、午後のコーヒータイムを持った。
男性二人が東京の、何とか美術館へ観に行くからと一泊で抜けたが後日行状記を聴きたいものだ。
次の日は上田市の戦没画学生慰霊の無言館へ立ち寄って、痛ましく厳粛な気持ちになってポストカードを買ってから中央道をひた走り次回を約して別れた。
漫然とした避暑旅行であったが、これから先いろいろ思い出したり、つけたしたりして、暖めていくことになるであろう。
俳句 無言館誰がつけし名ぞ八月尽
跨線橋越えて帰省の友送る