おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

携 帯 電 話

2022-06-02 10:35:11 | Weblog
 
携帯電話を買い変えた。根拠はコロナ禍のせいや,
ロシアの武力など諸般の事情で,物価が高くなっているのに十年以上も高い料金を支払っているので少しでも安くならないかと思ったからである。
 市会議員を四期も務めあげて今は民生委員をしているkさん同伴で、ヤマダ電機へいった。結果、料金は千円ほどしか安くならなかったが、それでも年間一万二千円である。
 取扱説明書にもとずいて、ゆつくりマスターしようとしたが、昨今は携帯電話の画面上に出てくる文言で判断するのであって,取説は無いとのことである。
 「日進エッセイ同好会」の十八年来の同期のОさんが、退会するからと挨拶にこられた。書き溜めた物を本にすると言って帰られたので二十冊近い「石火光中」の中の彼女の文章を改めて全部読んで感想とアドバイスとをメールをしようとしたら、電話番号が飛んでしまって控えはない。         
もう一人中日新聞を取ってないので俳句の近郊文芸が載ったら教えて、と言われていたHさんに「今日出たよ」とメールしようとしたら、やはり電話番号が消え失せている。
 注文していたケースも違ったケースが郵送されて来たので、再びKさんとヤマダ電機の係の人に会いに行くことになった。今更難儀なことの多い昨今である。

       俳句  テーブルにコスモス凛と輝けり
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 見 舞 い

2022-04-30 14:45:52 | Weblog

私より十一歳年下の弟が突然心臓が悪くなったと連絡が入ったのは、二か月位前だったろうか、入院したというので、見舞いに行こうとしてもコロナ、コロナで会えないとのことで、今に至ってしまった。退院したと言うので、連休になると道が混むからと、天気の良い四月二十八日娘が車に乗せて行ってくれた。東名高速を少し走ってから中央道を入鹿池を北西にみて小牧へ下りる行き方は我が家の常套手段である。「山が深いねー」そこで私が俳句を一句「新緑や波かと見紛う国境」てのはなどと言いながら五郎丸や美濃太田橋を過ぎて実家のお墓へ着いた。
 三年振りくらいともなると、道中道の両側には家がいっぱい建っていてその頃見えていた、友達の実家の庄屋門も確認出来ない。
 寺では、和尚様が竹箒で庭の掃除をしておられた。早咲きの藤であったろうか、コンクリートの道に蕊がこびりついている。桶に水をくんでいって十基の墓に抱えて行った花を活け線香や蠟燭を立て、お参りをした。全部娘がやってくれて、黒くなっている石碑の一つを「嘉永」と読んでいた。実家に着くと弟夫妻が待っていてくれた。仏壇にお供えやらお見舞いやらを並べて参り無事に着いたことを喜んだ。
 弟もあれから日が経っているせいかゼイゼイと息の音は、かまびすしいが酸素ボンベをつけて茶の間へきてくれて、積る話をした。倒れた時はどうなることかとおもったらしいが、これでまずは一安心である。庭を見ると脚立が立てかけてあるが、これはいくら何でも歯医者をしている息子がのぼったのであろう。
 お昼になるので念願のかの有名な「辻屋」の鰻を食べに行った。平日なので行列はせずにすんで、斜め向かいの電気屋の妹夫婦に誘いをかけると、妹は入院中でその旦那は「今日は医者にきているから残念!」とのことなのでシャッターが半分だけ空いている所に取り寄せ弁当の青い箱があったのでその横に、妹の好きな大須ういろうとメモを置いてきた。
 弟のところへお持ち帰り鰻丼を置きに寄ると小姑も私も車の足がないせいか、大層なお返しを娘と私に持たせてくれた。娘はジブリパークへ出る道を来たかったらしいが、私は安全安全と朝来た道を、インター内でコーヒーをして帰って来た。
 私をトップに四人妹弟が生存しているが、行ける内に行けて先ずは一安心‼

      俳句  ピースして一年生の写真かな





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   桜

2022-04-09 19:14:24 | Weblog

[桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿」ではないが私の実家の庭に桜はなかった。
 「サイタ  サイタ  サクラ ガ サイタ」と言う「ヨミカタ」の本で一年生になった。両側が田圃の通学路を二キロ以上歩いていくと神社がありそこには桜が、あって、
「天に変わりて不義を撃つ忠勇無双の我が兵は歓呼の声に送られて、今ぞ出立つ父母の国
 勝たずば生きて帰らじと誓う心の勇ましさ」と小旗を振って婦人会の人達と出征兵士や義勇軍の少年を送ったりした。
校門や楠木正成の銅像のそばには桜があった。終戦後学区制が敷かれ女学校は新制高校となり卒業した。
「富岡製糸」とか「女工哀史」で有名な片倉製糸の「関支社」に五年五か月事務員として勤務したが寄宿舎のあたりとか客間のあたりは桜並木であった。しかし身の丈のことのほうが優先で、仕事やら寮生活やら恋愛やそのころ流行したダンスなどで、多くの経験を積むのに一生懸命で桜を意に留めることはなかった。
 舞台をテレビ時代に移そう。皇太子殿下のご成婚から一挙にテレビが普及した。岐阜県から名古屋に嫁ぎ、名駅近くで商売をしていた頃は道路わきの一本の雑草にも、やるせない郷愁を抱いたものであるが、廃業して今居る日進市(その頃は町)へ越してからは桜、桜と毎年花見に行った。呉服屋に勤めていた時などは、その年の新入社員に朝から鶴舞公園に場所取りをさせておいて、終業時間になると宴会をしたものである。やはり名古屋に嫁いだ妹たちと「高遠城址」まで泊りがけで三回ほど行きもした。日進市に四十年程住むが家の前の大府街道は二車線になるまでは桜並木で心安らいだものである。
 定年退職してから俳句を始めたが物事を細心の注意を払って見る性分が欠けているので、句友が上達していくようには、うまく詠めない。「今でしょ」なのに、とやこうしている間にも短い花の季節は終わってしまう。
 
        俳句   窓際の句座の花見や日して散る
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 略  歴

2022-03-15 08:53:29 | Weblog
<strong><img src="http://" border="0"><span style="color:black; 
  三月一日は私の誕生日、八十九歳になった。
顧みるに農地解放はあったが、庄屋の娘として大切に育てられた。
 女学校の時、始めて家庭科で料理教室があり戦後の食料難で材料が揃わず、いつも私が多くを持ち込んでいた。
 岐阜県から名古屋に嫁いで子供二人を育てる三十年間が商売を倒産したりしたので、保険のセールスをして人並に苦労をした。
 年子の二人は上は中学の同級生とで、下は高校の同級生と、それぞれに結婚し男の孫まで中学の同級生と結婚している。
 五歳年上の夫は優しい人で共働きの家族の孫をよく見たが、喜寿の前日、計算したように朝風呂で心臓麻痺であの世へ旅立ってしまった。家族葬などと言う前のことで大きな葬式をした。
 面白いことに小高い丘の墓に立つと、西は息子、東は私、南は娘、北は孫と四方に守られている。
 独り居の私は、二千七年からサイトの名前を「おにゆりの苑」として細々とブログを続けている。「にぎわい句座」を 主宰し、もう一つは「日進同好会」の「綺羅句会」に席を置いている。月曜日はデーケアへ行きながら、もう書けなくなったからこの「石火光中」のエッセイもやめようと思いながら、いそいそと出かけようとしているのは、先月突然亡くなった先生の後に来られる講師は、どんな人かと興味深いからである。
 娘の家で二晩泊り、帰ると息子が「司馬遼太郎」を十冊も持って来てくれてあるので、同年配であった「石原慎太郎」のものの次に家事をしながら読んでいる。
 曾孫からは(八十九歳だねがんばれ)とスマホに可愛い写メが入っている。
 
       俳句  あの世の夫と足も触れえず春炬燵
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2022-02-15 11:14:38 | Weblog
   
新聞を取りに行こうと玄関を開けると「おお!雪が積もってゐる」この地方では、一冬に
一回あるか無いかなので嬉しくなって来た。
 雪と言えば4,5歳の頃飼っていたポチが死んだので父について川の雪に埋めに行った。可哀そうで泣けてきた。
  終戦になってからのことである。仲の良かった友達が、自分の家にも遊びに来てと言うので、駅までの4キロ程を歩いて電車に乗り(この電車は野口五郎の歌に出てくる)陽をあびて輝く真白な雪の中をたどり着くと「父がこんな疎開先の倉庫のような処には上がってもらうわけにはいかないと言うのですよ」とのことなので、二人で「雪ふりいたり 白雪 雪降りいたり」とコーラスの一部を歌って今来た道を駅まで送ってもらって帰った。
 私が岐阜県から名古屋に嫁いでから店の用事で栄の東海銀行へ行くと彼女が勤めていた。疎開先から引き上げる時、CAへ転校し銀行に就職できたことを父が大変喜んでいると言った。後日会う約束をしたのに、果たせぬまま亡くなってしまった。彼女は結婚前であった。
 次の雪の思い出は社会人になってからスキー場で、そろばん塾の先生に会ったら(卒業高校の先生になっておられた)仲人さんを立てて求婚してこられたが今では亡くなっている。職場の友達が雪深い長野県の人が多かったせいか再三スキーに誘われて、それぞれの人と行ったものである。
 中でも経理のТさん電話交換手(女性)のSさんと三人で行った時、先輩で高校野球のキャッチャーをしていた人と帰りの電車で、いつしょになったら
そちらの席へ行き詰めて経理のТさんには、悪かった。大学生で帰省していていた彼とは岐阜までダンスに2,3回行った。学区制になる前の高校で生徒会長をしていた
従兄弟が名古屋で同窓会をするといつしょだった、彼が来るよというので、「今は?」と聞くと「九十歳でもう駄目、もう来れない」との返事であった。
 雪にまつわる友達もそれぞれが亡くなってゐる。
 庭の、はだれ雪も十時にはもう融けてしまった。
         
俳句   数え日や菜っ葉土産に庭師くる






 








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幼 友 達

2022-01-20 18:32:17 | Weblog
<trong>夜眠れないと思索の回路はおのずと幼い頃のことに及ぶ。
 八十八にもなると歳の横と上の友達が随分と亡くなり連絡も取れなくなっていく。
 幼稚園から高校を卒業するまで十三年間もいつしょだった豊ちゃんの連絡が取れない。昭和
 三十一年娘の結婚の仲人を頼みに彼の上司のところへ、お母さまの運転ででかけた。
 終わって帰途につく車に乗ろうとすると豊ちゃんが向かいの畑の中に居るではないか。年賀状や電話の途切れることはなかったが、こんなに身近に住んでいたのかと、運転免許のない二人は唖然とした。孫が生まれて熱田さんへ、お参りに行ったあと、仲人さんに報告に行くとこの前と同じようにその家の近くの道に彼女がいた。同窓会ではよく会ったが彼女は結婚後自動車事故に会い杖やカートをいつも携えて居た。豊田市の松坂屋で会って二人で食事をしたりした。やがてご主人が定年退職をすると、家を建て直し、何年もしない内に主人を亡くした。
 それからである。突然連絡がとれなくなったのは。家の電話も携帯電話もいつかけても鳴りっぱなしである。娘が「見に行くかね」と言ってくれたその日に携帯がつながった。脳梗塞で娘の近くの高齢者施設に入所しているという。
 思えば私が保険のセールスで会社勤めを始める時一番に加入を薦めると「今は余裕がないから」と私も知っている姉さんの設計事務所を紹介してくれて、岐阜迄行って最初の成績になり
会社に定着でき十六年間も定年まで勤めることの機根ができたりおろそかにしてはならない。
 幼稚園の時鶏の足を五本書いて笑われたり小学校の通学途上では「おしゃべり娘おしになれ」とはやされたりの仲であった。反対に女学校の時などは通学するのに毎朝誘いに来て、それを見ているお向かいさんが気の毒がるほど待たせたりした。「何で今更新築したの」東大出の息子さんはマンション暮らしだし奈良女子大をだしてお医者に嫁がせた娘さんは遠いしで、誰も住んではいない。「物がいっぱいで売ることもできない」と言って笑って話すが、ここで又仕切り直しで長寿社会を励ましあって生きていきましょうよ。
俳句  歳古れば口に合ひけり薺粥






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お正月

2022-01-02 14:41:29 | Weblog
寒いけれど天気が良くて良いお正月ですね。今年もよろしくお願いいたします。
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 1  2 月

2021-12-17 09:50:07 | Weblog
 
 12月で忙しかったからは言い訳である。
12日日曜日、息子が来ていたから、良かったものの、スマホが鳴るので出るとyさんが「今何処にいるの」「家」「今日はきらく、の句会よ」さあ大変すっかり忘れて居た。
 コートを羽織って車で走ってもらった。
 「あと五分で着きます」こうやって始まった句会では、兼題二選出六で、私はその昔姑の姉が金縁眼鏡で「鰤の子よ」とイナダをさげて来訪したことを終生思い出しているので
     〇 鰤抱へ訪ね来し女の伊逹メガネ  で投句してあったがなかなか選が入らずプリントの私の句の右に選が入ったから次はと期待すると一行とんで左の句に点盛りという有様で恥ずかしい。いっそ休んだ方が良かったなあと思っているとハプニング Īさんからメールが入り「やってしまったわ」この人のこの言葉は失敗したときの専門用語だから、私と同様忘れて居たのらしい。 急遽家事の都合にして休んだという。
 一日置いて次の日は、私が主催で会長、彼女が副会長の「にぎわい句座」であった。こちらは兼題なしの当季自由題五句の持ち寄りである。彼女は前日の余った句であろう。
     〇  里よりの鰤届くころ出刃を研ぐ  で最高点であった。
海岸線のない岐阜県で育った私には「鰤」は大変むつかしく何故イナダやワラサを出世魚というのなら「鰤」の傍題にしていないのだろうと悔しい言い訳をしている。 
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メ ニ エ ー ル 病

2021-11-19 14:02:49 | Weblog
<="color:black;">strong>
「えー目がまわるとはこう言うことなの」 とびっくりした。朝起上がろうとしたとき自分の態勢はこのままなのに、ベットの周りの家具類が部屋ごと頭の上へ動いて行く。頭がくらくらする。
 二回もそれを経験したので、デイケアで自転車こぎの時笑って係の女性に話したら「ここでそんな事が起きたらこれを鳴らして呼んで下さい」と食べ物屋さんの机の上にあるような呼鈴を渡された。
 四五日前から頭の右斜めに帽子をかぶったような、瞼にうっすらとした違和感があった。
 耳も聞こえずらいので娘同伴で補聴器を買いに行ったら、即決で買い求めるものではないらしく、何十種類も載っているカタログを持たされて帰ってきた。
 目が回ると聞いた娘が「ほっておいては駄目」と以前エムアールアイをとったことのある東名病院へ連れて行ってくれた。それを撮って九年前のと比較して先生がいわれるには,それには問題がないからメニエール病らしいので飲み薬を四日分出してあげるから、それを飲んでもおさまらないようだったら耳鼻科へ行くようにと言われた。飲み薬が明日で四日になる。
 土曜日になるが前に,みてもらったたとき「年齢相当です」といわれて,そのままになっている近くの長久手耳鼻咽喉科へ行こう。
 今まで病気らしい病気をした事がなかった私がここ二年ばかり今までに覚えのない病気を,一つ治るとまた一つと言った具合にオンパレードである。
  ちなみに今日実家から次郎柿を送ってきたが,その弟も最近心臓病で酸素ボンベをつけて生活しているのだそうな。
         俳句  歳取れば親子同じの敬老日
        



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万 歩 計

2021-11-04 07:27:27 | Weblog

  随分前に一度持った事があるが必要性を感じなかったので、やめてしまった。
 スマホをもつようになり何度も店員さんに「万歩計」を入れてと頼んでも、それを入れる機能が表示してあるのに「これには入れる事が出来ません」と断られる
  エーデンへ行ったついでに携帯電話より軽いからと小さいのを買った。
 何のことはない。一週間もしない内に何処かで忘れたか、落としたか、紛失してしまった。
 そのうち何処かから出てくるだろうと期待していたが、本当に行方不明になった.
 もとはと言えば洋服のポケットに入れていても肩から掛けるポシェットに入れていても、ちょっとした身体の動きに反応して、数が表示されるので、訂正しようと手に持つからである。仲の良いみっちゃんにそれを言うと「私確かもう一個持っていたはずだから探しといてあげるわ」ということだったので、本気にして待っていたが音沙汰がないので、今度は性能の良いれっきとしたのを買おう。
 今はもっぱら自分で黙って数を数えながら「イーチ」と両足の単位の75センチを掛ける習慣である。
 ソフトバンクから一度来るようにとハガキが来ていたからそちらを先にしてエーデンへ行こう。
いずれにしても、歩きというのは逡巡する。
 昨日句会の帰り車で送ってくれたТさんと寄った茶店の十段足らずの階段で杖を持って居たのに転んだ。

       俳句   寝不足の朝聴く虫の音の細し
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