ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

憲法九条巡る議論 - 3

2018-06-10 17:10:49 | 徒然の記

 岡田教授の「邪論シリーズ」第3回目です。

 「戦争など、まっぴら、」「という感情を保持しながら、」「同時に軍を、世界標準の制度で、きちんと統制するという、」「憲法の規範力を守るために、必要なのは、」「立憲主義の補修作業である。」

 戦争などまっぴらという感情が、憲法に保持されていると、砕けた言葉で説明されれば、私のような無知な学徒には、もっともらしく聞こえます。しかし戦争は、日本人がまっぴらと思っていても、国際社会では、いつ何どき始まるのか、巻き込まれてしまうのか、誰にも分かりません。

 まずもって、このような言葉で、戦争反対論を語る軽薄さに、腹立たしさを感じますが、理屈に合わないのが、「同時に軍を、世界標準の制度で、きちんと統制するという、」叙述です。

 自衛隊を軍と認めていない氏が、自衛隊を世界標準の制度で統制するというのですから、学者の名を恥じるべき矛盾した意見です。こうした主張をするのなら、順序として、最初に自衛隊を軍として、認めていなければなりません。

 「だから私は、毅然として、規範力維持のための改憲を、」「九条の理念を、思想的に守るために、」「政治的に支持する。」

 言葉だけは、威勢よく、中身はますます曖昧に、矛盾したままの意見が展開されます。 何が言いたいのかと、先を読みますと、結局は現在流行の「安倍総理批判」となっていきます。

 「はなから、国家権力に対する歯止めという、」「憲法観が欠如した、安倍首相は、」「国民投票での敗北を恐れて、」「軍隊など無いと明記された、九条に、」「軍隊である自衛隊を明記するという、」「矛盾に満ちた、提案をした。」

 氏の寄稿した記事は、結局のところ、最初の書き出しから最後の行まで、反日野党とマスコミと、お花畑の住民へ向けた、「安倍総理攻撃文」でした。途中で色々喋っていますが、形を変えた「モリカケ批判」であるに過ぎません。

 さていよいよ、氏の原稿の、最後の叙述に入ります。

 「憲法を破壊する、そんな提案は、」「悪意なき気憲派によって、承認されるかもしれない。」「悪夢を見たく無い友たちよ。」「死守すべきもののために、」「きちんと政治をやろうでは無いか。」

 私も時には、自分のブログで、志を同じくする人々に、こうした呼びかけをすることがあります。愚かな教授に言われますと、安っぽくて、わざとらしくて、嫌味にしか聞こえません。

 もしかすると、私の呼びかけも、反対側の人間には、そんな風に聞こえているのかも、知れません。これを機に、中学生の学芸会みたいな、陳腐なセリフは止めようと決心しました。

  岡田教授の「邪論シリーズ」第1回目で、氏の主義主張を予備知識として知りたいと、ネットの情報を検索しました。平成27年の情報ですが、氏が久米宏氏と対談している、ラジオ番組を見つけました。おまけとして、追加いたします。

 久米宏氏が質問し、教授が答えるという内容ですが、面倒なので、氏の答えのみを、私の記憶に基づき、ランダムに列挙します。長いラジオ番組なので、私が勝手に省略し、都合の良い部分だけ引用しているという点は、了解してもらいたいと思います。

 「今の国会では、」「そんなことは、つい先日まで、ダメだったろうに、」「ということが、当たり前のように語られている。」「右は、刺激的なことを言って、舞い上がっている。」

 「憲法について、まっとうな筋で考えようとしている、まともな人間がいるのに、」「与党の議員が、その土俵をぶち壊してしまった。」「もしも自民党が、安保法制法案を強行採決したら、」「今でも感情的になっている、反対派の人たちを怒らせ、」「まっとうな憲法論議が、今後はできなくなります。」

 「憲法九条に問題があるというのなら、」「自民党は、まっとうな議論をすればいいんです。」「九条の一項は、パリ不戦条約に書かれていることで、世界中に認められていることですから、このままでいいとして、」

 「二項については、国際社会で認められている、正当防衛としての自衛権を、前提として、」「厳密な意味での、民主的な議会コントロールと、」「文民統制、軍縮基本法の三つをセットにした、」「専守防衛に徹するための、文言に変えるという議論をすればいい。」

 氏が語るような前提での議論が、国会での土俵というのなら、自民党でない私でも、そんな土俵には乗れません。

 「日本だけが、間違った戦争をした。」「日本だけが、残虐非道な戦争をした。」「日本に、二度と戦争をさせないためには、どういう憲法の文言が良いのか。」

 これが日本人の心を失った教授のいう、「議論の土俵」です。敗戦思考そのままで、未来永劫反省だけしろという、そんな結論の上に作られた土俵ですから、乗れというのが無理な話です。

 九条第一項の言葉は、世界中で認められたパリ条約だから、そのままで良いという説明も、ずいぶん飛躍した意見です。念のため、パリ不戦条約について、ネットで調べてみました。

 「 昭和3年(1928)年の8月、アメリカ、イギリス、ドイツ、イタリア、日本といった、」「当時の世界列強をはじめとする、15か国が署名し、」「その後ソビエト連邦など、63か国が署名した。」「フランスのパリで、署名されたため、バリ不戦条約と呼ばれる。」

  ここでは、国権の発動としての戦争や、武力の威嚇や行使は、国際紛争の解決手段として、永久に放棄すると、書かれています。しかし自衛のための戦争は、認められ、どの場合が自衛なのかという解釈は、当事国に任されるという曖昧さがあり、署名した大国が、みずから守らず、結局は第二次世界大戦となりました。

 前回のブログで取り上げた、軍刑法と同様、詳しく説明すれば、ブーメランとなり教授を直撃します。世間の人間が、パリ不戦条約を知らないことを幸いに、ここでもまた、まるでこれが、世界の常識でもあるかのように片づけています。

 これ以上、氏の話を引用しても、何の益もありませんので、最後にもう一つだけ、ラジオ番組での発言を紹介いたします。正確な言葉でないのかもしれませんが、これで氏の、知的レベルが判断できますし、敗戦以来のわが国の大学の荒廃を、本気で心配する必要があります。

 「私が教えている学生は、今回の安保法制法案について、」「合憲であるとは、ロジックとして、理解できないと言っています。」「さすがに、私の教えた学生たちです。」

 「シールズは、自分たち独自の言葉と、考えを持っており、」「彼らの話を聞き、まっとうなことを言っていると、」「希望を抱かされました。」

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 憲法九条巡る議論 - 2 | トップ | 拉致問題 »

コメントを投稿

徒然の記」カテゴリの最新記事