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ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

共同通信社 - 5 ( 電報通信社、国際通信社 と、落日の帝国通信)

2018-07-01 09:25:45 | 徒然の記

    明治34年 ( 1901 ) に、光永星郎氏が「電報通信社」を創業しました。これが後の「電通」です。設立の経緯を調べましたので、紹介します。

  ・光永は日清戦争時に、従軍記者として中国に渡った経験を持つ。

  ・このとき、通信手段の不備による記事掲載の遅れなどから、通信社の重要性を痛感した光永は、自ら通信社を興すことを考えた。

  ・だが通信社設立には、莫大な資金を要することから、光永は、営利の見込まれる事業として広告業に目を付けた。

  ・広告代理店「日本広告株式会社」を設立し、然るのちに、通信社を広告代理店に併設するという形をとった。

  ・「日本広告」と「電報通信社」は、新聞社から受け取る通信料と、新聞社に支払う広告料を相殺する方式で地盤を築いた。

  ・新聞社にとってこの方法は、広告枠を「電報通信社」に開放さえすれば、ニュースを享受できるため都合が良かった。後発の通信社だった「電報通信社」が、シェアを拡大する上で大いに役立った。

  ・しかし同時にこれは、通信社が新聞社の生殺与奪の権を握ることに他ならないとの批判も受けた。

 光永氏を初めて知りましたが、目端の効く人物だったらしく、広告料と通信料の相殺など、他社のやらなかった手法を実行し会社を発展させています。

 明治39年に「電報通信社」の社名を、「日本電報通信社」と改め、これ以後通称が「電通」となります。

 台頭した「電通」は、先行する「帝国通信」と激しく争いました。「帝国通信」は立憲民政党を支持する記事を書き、「電通」は立憲政友会系と見られていました。

  大正3年(1914)、通信社業界に新しい別の動きが出てきます。

  現在の「共同通信社」の前身である、「国際通信社」が設立それです。設立には、樺山資紀、牧野伸顕、渋沢栄一、高峰譲吉という、そうそうたる人物が関係していますので、彼らの経歴を整理してみました。

    [ 樺山資紀 ] 

    ・天保8年(1837)生まれ、元薩摩藩士。軍人・政治家

       ・海軍大将 警視総監 海軍軍令部長 台湾総督、内務大臣 文部大臣

    [ 牧野伸顕 ]

    ・文久元年(1861)生まれ、政治家 

                ・農商務大臣 外務大臣 宮内大臣 内務大臣

      ・大久保利通は父、吉田茂は女婿、寛仁親王妃信子と麻生太郎は曽孫

    [ 渋沢栄一 ]

              ・天保11年(1840)生まれ、元幕臣。官僚・実業家 

    ・第一国立銀行、東京証券取引所など、多種多様な企業の設立・経営にかかわり、「日本の資本主義の父」といわれる。   

     [ 高峰譲吉 ] 

   ・嘉永7年(1854)生まれ、科学者 実業家  工学博士 薬学博士

   ・タカジアスターゼ、アドレナリンを発明し、アメリカ合衆国で巨万の財を成した。 三共創業者。  

 「共同通信社」が今も強い影響力を持っている理由は、同社の歴史を知らずに理解できないのではないでしょうか。以下項目を整理しました。

  ・明治42年 ( 1909 )

    ・渡米実業視察団の団長として、渋沢はアメリカに行った。

    ・渋沢は、アメリカで日本関係の記事が非常に少ないこと、しかもわずかな記事の中には、悪意に基づくものがあることを憂慮した。

    ・渋沢は日本から、ニュースを海外に積極的に発信する必要があると考えた。

  ・明治42年 ( 1911 )

    ・来日したAPのメルビル・イライジャが、日本も国家を代表する通信社を持つべきと主張した。

  ・大正3年 ( 1914 )
 
    ・国際通信社が設立。
 
    ・代表社員は樺山資紀の長男で、財界の重鎮・樺山愛輔。総支配人は、元AP東京支局長ジョン・ラッセル・ケネディ。

    ・同社の設立には、アメリカ在住の経験を持つ高峰譲吉や、彼に同調する牧野伸顕、渋沢栄一らの、強い思いがあった。

 大正3年に「国際通信社」が設立された契機は、アメリカでの排日運動でした。同じ年に、「東方通信社」が上海で設立されたのは、中国の排日運動の盛り上がりに対抗するための、外務省の働きかけでした。

 当時は世界三大通信社の協定があり、「国際通信社」は「ロイター」としか契約が結べず、渋沢氏らの意図に反し、ロイター従属の会社という立場から脱却できませんでした。不利な契約のため慢性的な赤字に苦しみ、赤字は外務省が補填していました。

 「国際通信」の新社長に就任した岩永祐吉氏は、「ロイター」との不利な契約を解消するため、モスクワでロスタと対等契約を結びました。これを契機に関係者の間で、新会社の設立が検討されるようになりました。

 この間の事情を、下記の通り整理しました。

  ・新社長岩永は、新聞社の共同機関による通信社の設立を考え、大正5年 ( 1926 ) に、「国際通信社」と「東方通信社」を合併し、「新聞聯合社」を設立した。

  ・同社は、東京日日新聞社、大阪毎日新聞社、東京朝日新聞社、大阪朝日新聞社、国民新聞社、時事新報社、中外商業新報社、報知新聞社の8社による、匿名組合だった。

 このころ「帝国通信」は、落日の時を迎えていました。新会社の新聞聯合が、「帝国通信」との契約を廃止したため、急速に没落し、以後、電通と聯合の2大勢力が激しく争う「電聯時代」が到来しました。ここではまだ「共同通信社」の名前は、出てきませんが、「新聞聯合社」がそれです。

 息子たちに知ってもらいたいのは、巨大通信社は配信する記事を通じ、自国だけでなく、世界の世論を誘導する目的を持ち、そのために作られていたという過去の事実です。

 韓国政府の「慰安婦問題」や、中国政府の「南京問題」など、こうした悪意の記事の発信は「情報戦」と呼ばれ、中国は「日本に対する情報戦争」と公言しています。

 反日政治家や、文化人、言論人、学者たちが、外国勢力の情報戦に協力していますから、彼らは「獅子身中の虫」「駆除すべき害虫」と蔑まれます。日本のため情報戦を戦うべき「共同通信社」までが、「日本叩き」の先兵役をしている事実もあります。

 これらは敗戦がもたらしたものですが、情報戦に負けない国作りを考えなくてなりません。

  今回はこれまでとし、次回に続きます。

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共同通信OBらの「活躍」 (成田あいる)
2018-07-01 10:14:21
共同通信社に関する、この一連の記事を読ませていただいています。
地方局の記事がおしなべて「金太郎飴」になっていること、「左」に傾きつつある背景が分かるように感じます。

同社の「OB」には、ジャーナリストの青木理氏がいます。
この青木氏は、在職中に韓国の延世大学校韓国語学堂に留学し、その後ソウルの特派員を勤めました。
更に、高山正之氏が告発した、高野山宿坊の「大便なすりつけ事件」を、「便所の落書きのような嘘」と批判しました。

この他、「匿名報道」(要は、「容疑者の実名を報じるな」と主張)を提唱している、同志社大学教授だった浅野健一氏もいます。
この浅野氏は、ジャカルタ支局長就任中にスハルト政権を批判したため、「国外追放」されました。
『社会新報』や『朝鮮新報』、『救援』に執筆しているとともに、イラク国際戦犯民衆法廷の「呼びかけ人」にもなっています。

10年前の事でしたが、元政治部記者の斎藤史郎氏が、「報道は捏造まみれ」の実態を暴く本を上梓しました。

https://www.excite.co.jp/News/society_g/20080922/Cyzo_200809_post_948.html

こうして見ると、「元」共同通信記者で、現在それなりの「活動」をしている人には、それなりの「経歴」があるように感じます。
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もっと先の、事実 (onecat01)
2018-07-01 12:12:19
成田あいるさん。

 こんな退屈なブログを、読んでいただき、感謝します。青木理氏や浅野健一氏について、私は何も知りませんので、教えて頂き、ありがとうございます。

 書評と違い、今回は、ネットの情報を検索しつつ、ブログにしておりますので、自分でも行き着く先が見えておりません。

 しかし、共同通信社を作ったご先祖様たちは、反日の馬鹿者でなく、間違いなく、愛国者たちです。

 それか何故こんなにまで、変質してしまったのか、私はそれを調べたいと思います。私の予想では、設立者たちが、日本の大物たちですから、変質させた者たちも、大物に違いないだろうと、いうことです。

 もしかしますと、青木氏や浅野氏より、もっと影響力のある人物でないかと、そんな気がしております。

 コメントを、ありがとうございました。
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