ねこ庭の独り言

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『太平洋戦争 - 上 』 - 7 ( 若き日の近衛公の論文 )

2021-11-26 13:03:26 | 徒然の記

 近衛公が寄稿した論文は、雑誌『日本及び日本人』の、大正7年12月号に掲載されました。「英米本位の平和主義を排す」というタイトルで、公が27才の時の意見です。長いので、一部分を紹介します。

 「われわれもまた、戦争の主たる原因がドイツにあり、」「ドイツが平和の撹乱者であったと考える。」「しかし英米人が、平和の撹乱者をもって、ただちに正義人道の敵となすのは、狡獪なる論法である。」

 「平和を撹乱したドイツ人が、人道の敵であるということは、」「戦前のヨーロッパの状態が、正義人道に合致していたという前提においてのみ、言いうることであるが、」「果たしてそうであろうか。」

 ヒトラーが政権を取るのは、日本で言えば昭和8年の話で、近衛公の論文は、その18年前に書かれています。このような考え方が、当時すでにあったのでしょうか。ヒトラーは『我が闘争』の中で、同じょうな主張をしていますが、公が彼の影響を受けたのでないことだけは、確かです。

 誰の本で引用されていたのか、もう思い出せませんが、公の論文は、英米でかなり注目されたと聞きます。意見を雑誌に寄稿した公は、はたして賢明だったのか、若気の至りだったのか、いずれにしても私は驚きました。

 「ヨーロッパの戦争は、実は既成の強国と、未成の強国との争いであった。」「現状維持を便利とする国と、現状破壊を便利とする国の争いである。」「戦前のヨーロッパの状態は、英米にとって最善のものであったかもしれないが、正義人道の上からは、」「決してそうとは言えない。」

 「英仏などはすでに早く、世界の劣等文明地方を植民地に編入し、」「その利益を独占していたため、」「ドイツのみならず全ての後進国は、獲得すべき土地、」「膨張発展すべき余地もない有様であった。」「このような状態は、人類機会均等の原則に反し、」「各国民の平等生存権を脅かすものであって、正義人道に反すること甚だしい。」

 公の論文のこともさることながら、こうした意見が世間にあったことも、何もかも知らない私でした。

 「ドイツがこのような状態を打破しようとしたことは、正当であり、かつ深く同情せざるを得ない。」

 第一次世界大戦に敗れたドイツを弁護し、英米を批判する率直な意見です。ある意味では、正論の一つです。公に関する本をかなり読んでいましたが、読後の意外感はずっと残りました。(大正七年十一月三日夜誌す)・・と論文の最後に書かれていましたが、記念すべき一文を書いたという、自負が感じられました。

 つい二、三日前、ある方のブログを見て、偶然論文の原文を知りました。

 「戦後の世界に、民主主義人道主義の思想が益々旺盛となるべきは、最早否定すべからざる事実というべく、」「我国亦、世界の中に国する以上、此思想の影響を免かるる能わざるは当然の事理に属す。」

 「蓋し民主主義と言ひ、人道主義と言ひ、」「其の基く所は、実に人間の平等感にあり。」「之を国内的に見れば、民権自由の論となり、之を国際的に見れば、各国平等生存権の主張となる。」

 区切り点を入れたのは私ですが、原文は、口語文でなく、昔風の読みづらい文体で、文の切れ目もありませんでした。私の目的は、公の論文の全体を紹介することでなく、若い頃の公がどのような意見を持っていたのかを、報告することです。

 若い公の才を認め、政治家として期待したのが、元老の一人だった西園寺公望公です。西園寺公が元勲伊藤公に目をかけられ、引き立てられたように、西園寺公は近衛公を育てようとしたと聞きます。

 「世界では強い者に、逆らってばかりではいけない。」

 西園寺公は、論文を寄稿した近衛公を、こう言って叱責したと言います。おそらくそれ以後、近衛公は自分の意見を言わないようになり、胸に収めたのではないでしょうか。そうすると、色々な推理が成り立ちます。

 ・ソ連のスパイである尾崎秀実を、ブレーンとしてそばに置いたのは、公自身の意思ではなかったのか。

 ・政府の情報を故意に尾崎に漏らしながら、逆にソ連の動きを探っていたのではないか。

 ・東條陸相が、尾崎秀実のスパイ行為を徹底的に調べようとしたのは、近衛内閣を倒すためだったが、公は捜査が自分に及ぶ前に辞職した。

 ・近衛公は、東京裁判に不信感を持ち、自分が何を言っても彼らが有罪にすると考えていた。

 ・死刑となった尾崎秀実やゾルゲついて聞かれ、何か答えると、こじつけの罪が作られる。

 ・五摂家筆頭の自分が裁判で有罪となれば、陛下に無縁で済まされなくなる可能性がある。

 東京裁判の裁判官は、いわば氏の言う「英米本位の平和主義」の人間たちです。彼らに裁かれるなどと言うことは、公の誇りが許さなかったのではないでしょうか。

 誰も私のような意見を言いませんが、公の論文を読み、遺言を読みますと、こんな推測もできないわけではありません。日本の過去を見直す意見の一つとして、「ねこ庭」を訪問される方々に、読んで頂けたらと思います。その上で、それぞれの方が、自分なりの近衛像を描かれたら良いと思います。

 次回はまた、氏の著書に戻ります。

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