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昭和教育史の証言 - 7 ( 久野収 )

2021-01-11 15:59:38 | 徒然の記

 「転向とは、日本人の体質を無意識的に支配している、ナショナリズムへの回帰だと思う。」

 久野氏以外に、これほどまっすぐに、核心をついた意見をいう学者に私は出会ったことがありません。「ナショナリズム」という左翼用語を、「自分の住んでいる国を大切にする心」、或いは「愛国心」と言い換えれば、そのまま田中英道氏の意見です。

 「大正9年から昭和5年にかけて、初期の共産主義への転向の仕方が、」「のちに過激ナショナリズムへの逆転向を生み出す、」「深い素地を持っていたと思うんです。」「当時の左翼への転向と、のちの左翼からの逆転向とは、表裏であって、」「最初の転向が、大変急ぎ足で、過激化した結果、」「今度は左翼からナショナリズムへの逆転向が、」「急足で、過激化したと言えるでしょう。」

 息子たちに分かりやすく言い換えますと、次のようになります。

 「自分たちの中に、ご先祖さまのDNAがあることも検証せず、」「初期の共産主義への転向が、あまりに単純で過激だったから、」「逆転向も、過激な『先祖返り』になる。」

 「客観的状況の急迫が、革命を生む、」「状況が革命を必然にする、」「状況に遅れてはならないという、状況信仰が強かった。」

 この一番良い例が、かってのクオリティー・ペーパー、現在はトイレット・ペーパーに成り下がった朝日新聞です。「皇軍の聖戦」「鬼畜米英」「万邦無比のわが国体本」と、国民の先頭に立ち、戦意高揚の進軍ラッパを吹き鳴らしたのに、敗戦となりますと、スッカリ転向しました。

 深い検討もせず、時の権力だったGHQに迎合し、極端な転向をしたのは、「状況に遅れてはならないという、状況信仰が強かった。」と、氏が分析しています。ですからもう5、60年もしたら、朝日は逆転向するはずです。敗戦後の同社の転向は、「バスに乗り遅れるな」という、状況信仰に過ぎないと、まさに本質的な分析ではありませんか。

 私は氏の意見を、愚かなマルキストの、反省の弁として受け止めますが、氏はそんなことは考えていません。自分以外の、レベルの低いマルキストたちへの訓戒だと、得意になり、自己検証には繋いでいません。つまりこれが私のいう、「バカと天才は紙一重」の例です。

 「家族、会社、学校、国家といった集団のエゴイズム、」「それへの帰属意識の深さ、」「すなわち集団エゴイズムへの、忠誠感情の深さこそ、」「近代日本を、これだけに仕立て上げた原理で、」「重なり合うエゴイズムを、最終的に統一つするエゴイズムこそ、」「明治以来の国家主義であり、天皇信仰はその頂点への、」「忠誠の表現であった。」

 氏は頑迷な反日左翼ですから、優れた分析をしても素直に語れず、「エゴイズム」などという余計な飾り言葉を入れます。左翼学者の特徴である、否定と批判の言葉 (  エゴイズム ) を削除すれば、正しく日本の国柄を捉えています。

 逆転向した左翼学者に関する氏の意見は、傾注に値する卓見です。

 「戦争に協力した左翼インテリゲンチャたちは、負けると思わず踊ったのでないかと、」「戦後の研究者たちが批判するけれど、実はそうじゃない。」「たとえば僕たちのように、戦争の敗北を前もって認識していた人々が、」「尾崎秀実をはじめ、かなりいた。」

 「彼らの中にも、日本の負けを予想していた連中が、いたのではないか。」「しかし彼らは、日本が負ける場合でも、日本のために努力しよう、」「日本の国民と一緒に、いくところまで行こうと、考えていたのではないか。」「われわれのうちにある日本が、勝つか負けるかの境目に来ているのだから、」「万一負ける場合でも、この国家主義に忠誠を捧げる国民とともに、」「運命をともにしようと、考えていた。」

 「この日本への帰属意識と忠誠心に比べると、自分が信じ込んでいた自由主義の世界意識や、」「マルクス主義のインターナショナリズムは、底の浅い、」「着たり脱いだりできる、洋服に過ぎなかったと自覚したのではないか。」「そうした心情が、僕は、小、中学校の教師の、末端までを支えていたと、」「思うのです。」

 マルクス主義者の自負を持ち、日本批判をしていても、祖国滅亡の瀬戸際に立つと、愛国者に変わった小、中学校の教師のたちは、転向したのでなく、「先祖返り」したのだと、氏は言います。ご先祖様から受け継いだDNAを考えれば、ごく自然の話です。

 「戦後になっても、逆転向に現れた日本的体質の問題は、」「本当に検討されていないし、その根っこにある、ナショナルエゴイズムの問題も、」「当然解決されていない。」

 これは戦後の日本にとって、左翼と保守を超えた国民的課題です。反日左翼の学者だけでなく、頑迷な保守の学者とともに、検討すればどれだけ日本にとって有益だったかと、残念でなりません。朝日新聞やNHK、共同通信社といった反日マスコミが、国論を二分する報道を発信し続けている現在、日本の学者たちが、「日本的体質の問題」を、侃侃諤諤やればいいのです。そうすれば、出てくる結論は決まっています。

 「日本への帰属意識と忠誠心に比べると、自分が信じ込んでいた自由主義の世界意識や、」「マルクス主義のインターナショナリズムは、底の浅い、」「着たり脱いだりできる、洋服に過ぎなかったと自覚したのではないか。」

 氏は著名な左翼学者ですから、こんな結論は述べません。その代わり、面白いことを言います。

 「右翼の思想を本当に貫いていけば、新しい左翼の思想が、」「そこから生まれてくるという、パラドックスもある。」

 私は無名の年金生活者で、物忘れをするようになった後期高齢者ですが、氏と同じ思考をしています。氏はこの世にいませんが、次の言葉を持参し、やがて行くであろうあの世とやらで、渡そうと思います。

 「左翼の思想を本当に貫いていけば、新しい保守の思想が、そこから生まれてくるという、パラドックスもある。」

 氏の証言はまだ続きますが、息子たちに伝える内容は、これで十分です。氏に関する報告はここでお仕舞いとし、次回は、さとみみのる氏です。

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2 コメント

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Unknown (あやか)
2021-01-11 17:36:56
今回の久野収論を拝見しました。

本当に、久野収という人は、めちゃくちゃな思想家だと思いますし、その見解は変わりませんが、
『転向論』については傾聴に値する事も、言ってるようですね。

確かに左翼から右翼への転向は、ナショナリズム回帰というよりも、『郷土愛・家族愛・素朴な祖国愛』に基づくものだと、
私は、思います。

昭和時代に、左翼から右翼に転向したかたは、沢山おられます。

    たとえば、北一輝
        林房雄
        田中清玄
        太田龍
  
     などが私の存じております転向者です。
    いづれも、理論的な思索を重ねた結果での転向と言うよりも、
    素朴な郷土愛・家族愛・民族愛への自覚から、涙を流しつつ、
    日本主義者に帰って来たかたがたです。

◎そういう点をかえりみますと、『左翼』と見なされてる人でもDNAさえまともであれば、真人間(まにんげん)に戻る余地はあり、
私は、日本の将来に一縷の希望は、持てると思うのです。

●ただし、左翼であれ、自称・自民党員や財界実業家であれ、
 売国行為をやってる者には、情状酌量の余地はありません!

    
希望の論 (onecat01)
2021-01-11 20:29:20
 あやかさん。

 実は私も、久野氏の証言を読み、貴方と同様の考えをいたしました。

 『左翼』と見なされてる人でもDNAさえまともであれば、真人間(まにんげん)に戻る余地はあり、
私は、日本の将来に一縷の希望は、持てると思うのです。

 図らずも、氏の意見は、そういうことを示唆してくれました。逆説的ながら、反日左翼が展開する「希望の論」となりました。

 ご先祖さまのDNAは、きっとこれから先も、反日左翼を「先祖返り」させてくれることでしょう。

 コメントに感謝いたします。

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