ねこ庭の独り言

ちいさな猫庭で、風にそよぐ雑草の繰り言

『日清戦争』 - 3 ( 他山の石 )

2021-09-08 14:57:43 | 徒然の記

 日清戦争前の朝鮮において、大院君と閔妃がいかに激しい抗争を繰り返していたかは、「温故知新の読書」で前にも読んでいます。当時の日本は、事情があったとはいえ、正直に言えば露骨な内政干渉をしていました。

 反日左翼学者は朝鮮側に立ち、日本批判をしますが、松下氏の説明は、ここでもやはり中庸です。朝鮮の状況をそのまま伝えています。

 「朝鮮は大院君が大改革を行い、積年の秕政を一新するはずであったが、」「その内実は理想と甚だ遠く、官吏は皆相対峙し、」「挙国一致の態様は、遺憾ながら見ることができなかった。」

 「大院君は、経歴名望ともに朝鮮の第一人者であったが、」「頑固保守の気概が、抜けていなかった。」「これに対し日本党の中に、半知半解の躍進開化者があり、」「ことごとに大院君と争い、内閣はその間に立ってただうろたえ、何も決定することができず、」「左右両派は机上の空論に走り、果ては生死を賭して戦う有様で、」「内政の改革など、到底実現すべくもなかった。」

 日本党とは、金玉均や朴泳孝が作った韓国内の政党名です。私たち日本人は、マスコミが報道しないのでほとんど知りませんが、韓国には、今も「知日派」と呼ばれる政治勢力がいて、本流の左翼政党と対立しています。政権をとるたびに韓国政府が、日本を名指しで批判し攻撃する理由は、こうしないと国内の「知日派」が抑え込めないところにあるのかもしれません。もしかすると、この時以来の流れでしょうか。

 「大院君とその閣僚たちは、日清両国の間で常にどっちつかずの態度を取り、」「密かに清国の軍将によしみを通じ、同国の影響下にある東学党にも書信を送り、」「清国軍と東学党とで、日本を挟撃することを求めている。」

 「この密書は、平城陥落後日本軍の手に入り、」「軍はそれを、陸奥外相に送った。」「大院君は表面では日本に従いながら、なお清国を無視することができなかったわけで、」「両大国の間に存在する小弱国とはいえ、あまりに卑劣な態度と言わねばならない。」

 この叙述を読んだ時、歴史は繰り返す・・という言葉を実感しました。現在の韓国は米中二大国の狭間で、右顧左眄しています。どちらの顔も立てなければならず、自分の意思では動けません。これで日本が戦前のような強国となったら、韓国政府は身動きが取れなくなります。弱いままの日本であって欲しいと、懸命に日本叩きをする気持ちが分からないでもありません。

 息子たちに言います。ここで韓国の理不尽な日本攻撃を放任すると、子々孫々の苦しみとなります。日本は日本として、自国の立場を主張しなければなりません。これが、国際社会の非情な現実ですが、そればかりでなく、韓国の情けない姿は、そのまま現在の日本でもあります。

 大国のアメリカと大国の中国に挟まれ、政治家も経済界も、どちらの側につけば有利なのか、国民不在の選択に明け暮れています。経済大国と自惚れたのは一時の夢で、国を守る武力を失った国は、他国の餌食になります。アメリカの言われるがままに国を開き、中国に誘われるままに投資をし、首根っこを押さえられ、国民の蓄えが彼らに吸い取られ放題になっています。

 正規社員がいなくなり、パート、アルバイト、派遣社員といった低賃金で不安定な人間が増えたのは、その結果です。年功序列の賃金体系が無くなったため、彼らは生涯低賃金のまま据え置かれます。終身雇用という日本独特の制度もなくなり、いつでも首を切られる自由だけが残りました。

 「日本の人口が減少する。」「若者たちが、子供を産まない。」「若い働き手がいなくなり、日本経済がダメになる。」「外国人労働者を、どんどん入れなくてならない。」

 若者が子供を作らなくなったのは、先の見えない低賃金生活のせいです。不安定な雇用状態を、政治家と学者とマスコミは、なんといって誤魔化したか。

 「自由な職業選択のできる社会。」「一つの会社に縛られず、自分の能力を生かせる社会」「多様な選択のできる、柔軟性のある社会」

 小泉内閣の時から、竹中平蔵氏が積極的に活躍し、安倍、福田、麻生内閣と引き継がれ、若者の夢と希望を打ち壊す政策が続けられました。挙げ句の果ては、「外国の安い労働力」の大量受け入れです。悪法の「移民法」を作り、日本の崩壊に手を貸したのは安倍政権でした。安倍氏とマスコミは、なんといって誤魔化したか。

 「多様な民族を受け入れる、共生社会。」「さまざまな文化が共生する、寛容な社会。」

 このごまかしは今も続き、保守自民党による日本の崩壊が止まっていません。弱小野党は元々反日ですから、これについては反対せず、「桜見の会」とか、「菅氏の原稿読み飛ばし」とか、とるに足りない難癖で、政権交代などと寝言を言っています。

 こうした現状を知れば、大院君の政府を、他人事のように笑っておれなくなります。まさに氏の著書は、私たちにとって「他山の石」です。( 書き忘れていましたが、この部分は228ページです。 )

 

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2 コメント

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Unknown (あやか)
2021-09-09 08:24:00
今回の貴ブログを真摯に拝見しました。
確かに、李氏朝鮮王国の末期の状況は暗澹たるものだったのですね。
しかも当時の日本が、対等の国交を申し入れても、聞く耳持たん、という態度だったようです。
朝鮮の大院君は、それなりの学識のある人だったらしいですが、国際的感覚はゼロだったらしいです。
しかし、今の韓国朝鮮人の国民性も、そのころと、あまり変わっていない、、、、??、、、、

◆それから、猫様もおつしゃってますように、
昔の左翼は、必ずしも『反日』ではなかったということですが、
私もそう思います。(もちろん、人によりけりですけど、、、、)

●ところで余談ですが、、、、、、
私は、リサイクル図書で『君たちの天分を生かそう』と言う本を読みました。
昭和37年発行のふるい本ですが、著者は『松田道雄』というお医者さんで、
この本は、青春の悩みに答え勉学を指導する、中学生高校生を対象にした内容です。
最後の章は、幕末明治時代から太平洋戦争に致る日本近代史の概論を述べていました。

その中で、
日本が、戦前、軍事国家の道を歩まざるを得なかった遠因は、
幕末のころアメリカから、『不平等条約』を押し付けられた事、
そして日清戦争直後に欧州諸国から『三国干渉』をされたことだ、と指摘しています。、

著者の松田氏は、
【あの、『三国干渉』が、有ったとき、君たちのおじいさんの世代のひとが、どれほど怒っただろうか。!!!】
と、御自身も怒りを込めて書いておられました。、

そして、その後の日本軍の勝利で、軍人たちが威張りだしたことについては、著者は厳しく批判していますが、
最後の結論として、、【明治時代から太平洋戦争までいろんな矛盾もあったが、君たちは、この日本の国を誇りにして欲しい】
という趣旨の言葉で結んでいました。

ところで、この松田道雄医師は、政治的には【社会党】だったらしいです。
学生時代のころは、かなり急進的なマルクス青年だったらしく、特高警察からも睨まれてたこともあったらしいです。、
しかし、この『君たちの天分を生かそう』の本の歴史観は均衡のとれたものだと思いました。

、、、、、話しが脱線して申し訳ありません。
猫様が、左翼でも反日ではない人のことを、、おっしゃったことで、ふと、このことを思いだしました。

●しかし、それにつけても、自民党の劣化ぶりは嘆かわしいですね。、、、、、もはや、保守とは言えません!!
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松田道雄氏 (onecat01)
2021-09-09 08:58:18
 あやかさん。

 松田道雄氏の「育児の百科」に、わが家は大変お世話になりました。

 何かあるとこの本を出し、頼りにしていました。ある時、氏がマルクス主義に傾倒していたと知ったときは、ショックを受けました。

 それ以来、氏とは距離を置いていますが、略歴を調べてみますと、傾倒していたが、共産党には入党しなかったということでした。

 弱いものや貧しい者に心を寄せる人道主義者は、一度はマルクス主義に傾きます。しかし彼らの現実を知りますと、頃が離れます。

 貧しい者や弱い者への愛があるからといって、邪魔になる者を皆殺しにするという思想は、人道主義主には受け入れられません。

 「自分は共産主義者であるが、共産党員ではない。」

 レオ・ヒューバマンは言いましたが、その意味だろうと思っています。戦前の共産党員には、陛下を敬愛する人間がいましたし、日本そのものには誇りを持つ人物もいました。

 もしかすると松田氏も、松下氏も、そんなマルキストだったのかもしれません。

 全ては日本が、東京裁判史観を肯定し、南原氏党の反日・左翼学者の憲法論が世間を支配して以来、愛国の左翼がいなくなったのだと、私は勝手に理解しています。

 嘆かわしいのは、自民党の劣化ぶりです。議員諸氏は、世間のうわついた風潮に流されるだけで、歴史の勉強が足りません。

 コメントをありがとうございます。
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