ねこ庭の独り言

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日本共産党と、ソ連共産党の関係 - 5 ( 宮本委員長 )

2022-08-17 09:27:58 | 徒然の記

 今回以降は、ブログのタイトルを「日本共産党と、中国共産党の関係」と変える方が良いのかもしれません。それほど中国共産党との軋轢が生じます。しかしソ連共産党との三角関係の中の出来事なので、このまま紹介を続けます。

 〈 宮本・毛会談後の日本共産党 〉

 「宮本顕治は、ベトナム侵略反対の国際統一戦線の結成を願い、ベトナム、中国、朝鮮の三カ国の共産党、労働党と会談するために、大型の代表団を送った。」

 「しかし、統一戦線にソ連を含めることに中国が反対し、中国共産党との共同声明を公開できず、これが両党の断絶につながったと宮本が書いている。」「しかし、当時の国際情勢と日本共産党の党内事情、あるいは会談後の日本共産党の動静などから考えると、代表団派遣の意図や動機には、建前とは異なるものが見えてくるとする批判がある。それによれば以下のとおりである。」

 以下はベトナム戦争当時、宮本委員長がした動きの説明ですが、文章を止め箇条書きにします。

  ・1966 ( 昭和41 ) 年、北ベトナムへの軍事攻撃を強めるアメリカに対し、中国は「ベトナムへの侵略は中国への侵略につながる」と主張

  ・国を挙げて、ベトナムの「抗米・民族独立闘争」を支援

  ・中国に脅威を持ったアメリカは、日本・韓国・台湾の連携により、中国包囲網強化を図る

  ・同時期に中ソ対立が公然化し、両国共産党の論争や対立が、国家間の対立へと発展

  ・中国は、米ソの超大国から攻撃を受けかねない情勢に追い込まれ、これを克服するため文化大革命を発動。国内体制の再編・強化に取り組む。

 この説明は、私がこれまで聞いたことのない意見でした。平成27年に読んだ『鄧小平秘録』、翌28年に読んだ『毛沢東秘録』では、次のように述べられていました。

  ・大躍進政策の失敗により、国家主席の地位を劉少奇に譲った毛沢東が復権を画策した

  ・紅衛兵という学生運動で大衆を扇動し、政敵の攻撃と失脚を狙った共産党内部での権力闘争だった

 二冊の書が、文化大革命は毛沢東による権力奪回闘争と説明し、これを信じていました。今回見つけた資料では、米ソの攻撃に備えた国内体制の確立が理由となっています。宮本委員長の言動紹介が主眼なので深入りすることを避けますが、もしかすると双方の要因が重なり、文化大革命が発生していたのかもしれません。

  ・中国が重大な局面に立っていたときに、日中共産党の対立が生じ、日本共産党は中国との交流自体を断絶した。

  ・「ベトナム侵略反対」の国際統一戦線を提案すれば、中ソの対立がさらに高まると宮本は知っていたはずだ。

  ・宮本は、対立が出た時点で中国共産党との関係を断つ腹づもりで、代表団を送ったのではないか。

  ・宮本は闘争方針を転換しつつあり、中国共産党の強行路線から離れようとしていた。

  ・宮本は、意見の異なる党員を排除するという権力闘争を長く続けていた。

 宮本氏の提案がなぜ中ソの対立を深めることになるのか、この説明では理解できませんが、事情を知る者にはこれで十分なのでしょう。そのうち分かる日も来るでしょうから、構わず先へ進むことにします。

  ・宮本は、党間の対立を日中友好運動の中に持ち込み、各種友好団体に派遣した党員を通じて、日中交流を妨害する姿勢を強めた。

  ・1966 ( 昭和41 ) 年に予定されていた第二回日中青年友好大交流に対し、党不参加方針をとっただけでなく、指示に従わない団体への妨害行動を行った。

  ・同年11月から北九州と名古屋で「中国経済貿易展覧会」が開催された時も、妨害行為をした。

  ・日本共産党中央が参加しない方針をとるとともに、関係団体に所属する党員を通じて、規模を大きくさせないようにし、会場での『毛沢東選集』等中国の書籍の展示や販売を妨害した。

  ・日本共産党の行動は、「反中国」と形容され、日中友好運動に混乱をもたらした。

  ・日中友好運動は、特定の党派の専有物ではなく、日本の各界各層の人たちによる大衆運動だったため、日本共産党の当時の姿勢を問題視する批判がある

 日中共産党の対立について、新聞やテレビがどこまで報道をしていたのか、今も昔もマスコミは中国に遠慮をする体質なので、「報道しない自由」を使い、事実を伝えなかったのではないでしょうか。

 中ソ対立の原因として分かっているのは、スターリンの死後フルシチョフがした「スターリン批判」です。「ねこ庭」のブログで何度か取り上げましたが、一番ショックを受けたのは毛沢東と金日成でした。彼らは国内で独裁体制を作り、個人崇拝を徹底させ、異論を封じる強権政治をしていました。

 「自分が死んだ後、フルシチョフのように批判する人間が出てくるのではないか ? 」

 毛沢東と金日成は疑念に駆られ、フルシチョフの裏切りに怒りと恐怖を感じました。「銃口から政権が生まれる」と信じている毛沢東は、米国と「平和共存できる」というフルシチョフの方針転換は絶対に認められませんでした。

 正確な記憶はありませんが、フルシチョフがアメリカを訪問し、国連で演説した時の新聞記事が今でも忘れられません。

 「社会主義と資本主義の戦いに、戦争は必要ではない。社会主義の体制の方が優れていると、われわれは信じている。農業生産においても工業生産についても、計画経済の力でソ連はアメリカに迫っている。」

 「やがてソ連はアメリカを追い越す。戦争をしなくても、平和共存しながら互いに競争すれば良い。答えは明確で、ソ連は必ずアメリカを追い越す。」

 確か、このような内容であったような記憶があります。フルシチョフの意見は画期的なもので、世界をアッと言わせ、トップニュースとして伝えられていました。しかし毛沢東にとってフルシチョフは、「スターリンへの裏切り者」「許すことのできない修正主義者」だったのだと思います。

 宮本委員長の言動は、こうした緊迫した状況下でなされたものですから、次回にもう少し調べてみようと思います。

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