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カレル・オルフレン - 2 ( 氏の正論 )

2013-09-15 15:17:00 | 徒然の記

 今日は、最初から氏の主張をそのまま紹介したい。左翼インテリについての解説である。

 「ここでしばらく、大江 ( 健三郎 ) に話を絞りたい。」「なぜなら彼は、日本の歴史において、実際は何があったのか明らかにする作業を怠りながら、自分は政治的美徳のかがり火を高く掲げていると錯覚して来た、日本の知識人の典型だからである。」

 「大江が1994年ノーべル賞授賞式で行った講演を、読んだ時、私は日本人でないのに、その講演に怒りを感じた。」

 「怒りの理由は、二つあった。一つは、当時は55年体制終了後の、政治的混乱のさなかで、日本政府の目的につき再検討する、またとない機会だったというのに、この幻滅した左翼であるところの作家は、日本の再軍備に反対する古びた言辞しか思いつかなかったことだ。」

 「第二に、大江が日本に対して示す不信感が、私にはとうてい受け入れがたいものだったことである。」「大江は自分自身を鞭打っていた訳でなく、自分の国に鞭を振るっていたのである。つまり大江は、日本の戦後に、軍隊(自衛隊)が存在していることを、許しがたい裏切りだと、考えているらしい。」

 「大江の言葉には、時代遅れの孤立主義がほのみえる。」「私としては、政治的にあまり重要でない、しかもかなりものを知らない、小説家一人だけを、不当に攻撃しているという印象を与えたくないが、ノーベル賞受賞講演をするということは、世界が注目する行為なのだ。」「言葉が、きわめて政治的な色彩を帯びていたら、それは他者から、政治的吟味を受けなければならない。」

 長くなるが、オランダ人の彼の主張を更に引用したい。それが世間で言われる、「日本人の常識は世界の非常識」の、典型例であるように思えるからだ。

 「大江の話は、日本の知識人に広く見られる、悲しい自己満足の一つの代表例だ。安易に義憤に駆られ、古びた左翼の常套句を吐き散らすことで、国に役立っていると錯覚しているだけで、ものごとを徹底的に考え抜くことを決してしない著述家や、評論家が日本には多すぎる。」

 「これが日本の真の改革を阻む、最大の障害の一つとなっている。」「平和、平和、平和。それが日本人の発明品であるかのごとく、平和を連呼することの何んとバカげたことか。」

 日本人の誰もが言わないことを、外国人の氏が語っている。大江氏への批判は、私の思いそのままだ。

 「毎年8月6日には、広島の児童・生徒は平和の祈りをささげる。」「平和を祈る作文を書きましょうと、呼びかけられる。」「こうしたことで平和な世界が生み出せるのなら、とっくの昔にそうなっている。」

 「この種の活動は本質的に偽善であることが、ほとんど気づかれていない。」「戦争は、どのようにして起こるのか。」「発生の可能性を最小限にするため、政治システムのなかでどのような措置をとるべきなのか、」「日本は、こうしたことについての研究が、最も遅れている国なのである。」

 その通りと思うので、反論のしようがない。自分の国を自分で守る普通の国にしたいから、憲法を変えようと言っても、軍国主義の復活、右傾化などと、非難の声ばかりがうずまく日本だ。「この不幸な国」と氏に言われても、耐えるしかない。

 ブログでは左翼に関する叙述だけを紹介したが、氏は右翼の神懸かりと頑迷さについても批評している。しかし今宵は敢えて割愛し、まずは朝日新聞に代表される左翼主張の蔓延を止めることを優先したい。

 ものごとには順番があるし、私はオランダ人でなく、オルフレン氏でないから、自分でそう決める。

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