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それでもチェコは戦う - 4 ( チェコの国民が抱いていた3つの考え )

2019-06-13 15:50:37 | 徒然の記
 図書館の廃棄本を読み、偶然チェコスロバキアについて知ったのですから、大きなことは言えません。
 
 チェコスロバキアは日本から遠い国で、地図で示せと言われてもできませんし、周辺国の名前も上げられません。しかしこの国の歴史を知れば、大東亜戦争以後、現在の日本の置かれている国際状況が見えてきます。
 
「日本だけが、間違った戦争をした。」
「日本だけが、他国を侵略した軍国主義国だった。」
 
 戦後の日本を支配しているこの考えが、どれほど悪意の宣伝だったかを知らされます。息子たちだけにでも国際社会の不条理を伝えたいと思い、またそれをするのが、親の役目でないかと確信もしました。
 
 2回目のブログで紹介した、中国とソ連の動きをもう一度見てください。ハンガリーとチェコへのソ連の侵攻以前に、中国はチベットとモンゴルを侵略しています。
 
 1.    第一次チベット侵略 昭和23年 ( 1948 )    東部・東北部侵略
 2.   第二次チベット侵略 昭和25年 ( 1950 )    中央部侵略 中国編入
 
 3.   第一次モンゴル侵略 昭和25年 ( 1950 )   中国人を人口の40%になるまで移民
 4.   第二次モンゴル侵略 昭和30年 ( 1955 )   新疆ウイグル自治区として、中国領編入
 
 5.   ハンガリー動乱   昭和31年 ( 1956 )
 7.   チェコ動乱     昭和43年 ( 1968 )
 
 ソ連がやったのは武力侵攻ですが、中国は侵略しただけでなく領土を奪っています。それこそ大戦後のどさくさに紛れ、無力なチベットとモンゴルの国民を、武力で弾圧殺戮したのです。
 
 その中国が日本に向かって、「軍国主義者」、「侵略者」と言っています。「正しい歴史認識を持て」、「反省しろ」と、説教じみた話をします。
 
 それをいうのなら、昭和23年から30年にかけて、中国がやったチベット・モンゴルへの侵略と虐殺は不問にできません。中国を黙認している国際社会の欺瞞と不条理は、今も変わらないままです。息子たちに言います。汚れた手をした中国が、日本を責める資格がどこにあるのでしょう。
 
 横道へ逸れましたので、氏の著書へ戻ります。
 
 ドイツの占領から、第二次大戦後のソ連軍による解放までの間、チェコスロバキアの国民が持っていた三つの考えを、氏が説明しています。
 
  1.  ナチスドイツの占領は、中世的な野蛮行為であり、全く受け入れ難いものである。
 
  2.  西欧列強、特にフランスは、ミュンヘン条約でわれわれを裏切り、ドイツへ売った。
 
  3. ソ連は、自国の一番困難な時期にわが国への支援を申し出、戦争でも最大の重荷を背負った。ソ連は、社会主義の理想に基づいて行動し私欲がない。ソ同盟は、全世界の働く人々の兄弟愛と、同志愛を旗印にしている。
 
 ドイツ占領下のチェコスロバキアで、この三つの考えが国民の間に浸透し、心の財産になっていたと言います。西欧諸国、特にフランスに捨てられた怒りと、失望の大きさを思えば、解放してくれたソ連への敬意と感謝が大きくなるは当然です。
 
 「ソビエトの戦車がプラハを守るため、300キロもの戦線を走り、ベルリンからやって来た事実。」「それに反して、道は自由に通れたのに何もせず、プラハから100キロの地点から、動こうとしなかったアメリカの戦車。」「この二つの事実は、私たちに、西側は信ずるに足りないと確認させるに十分だった。」
 
 このすぐ後で、氏は意外な言葉を語ります。
 
 「しかしこの三番目の考えが、ただ見せ掛けだけの行動にチェコスロバキアの国民が、幻惑されただけのこと、」「占領下での切実な思いから生じた、願望に過ぎなかったことと、ずっと後になり判明したことは、悲劇的というほかない。」
  
 ここから「ヤルタ会談」の内情が、語られます。このまま続けるとブログのスペースがなくなりますので、ここで一区切りとします。
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