雑誌『選択』に寄稿した、二階氏の叙述の紹介を続けます。
「2000 ( 平成12 ) 年に5000人、」「2002( 平成14 ) 年に、一万人規模の、観光交流使節団を中国に派遣し、」「日中交流を深めた。」
「中国国家旅游局長(観光大臣)は、中国から日本への観光客増加のため、」「過去6代にわたる運輸大臣に、観光ビザを認めるよう熱心に働きかけておられ、」「私が大臣のときに、ようやく団体観光ビザが発給されることになった。」
人口が多く、経済力の増している中国へ傾斜し、観光客の獲得に努める氏の姿が述べられています。
「自公保連立政権では、山﨑拓(自民)、冬柴鐵三(公明)と、」「私(保守)の三党幹事長と、中国国家旅游局長が協力し、」「対象地域は今年9月15日までに、4市5省に拡大、」「対象人口3.7億人と、大きな市場に成長した。」
自公保連立政権とは、平成11年の小渕内閣の時です。自民党、公明党、自由党の3党による連立政権でした。当時の氏は、政党の壊し屋と言われる小沢一郎氏が率いる自由党にいて、幹事長だったことが分かります。
小泉政権の成立は平成13年ですから、二階氏は小渕内閣時代から中国と観光問題で深いつながりを持っていたことになります。
「また韓国とは、運輸大臣当時に、朴智元文化観光部長官らと会談を重ね、」「平和産業である観光の発展のため、両国が未来志向で取り組む、と約束するなど、」「国際観光の振興に努めてきた。」
氏が運輸大臣だったのは、第二次小渕内閣の時ですが、中国だけでなく、観光行政を通じて韓国とも親韓路線を走っていたことになります。平成15年12月の雑誌『選択』への寄稿 は、小泉総理への支援と説明されていますが、内容はむしろ、小渕内閣時代からの自己宣伝です。
小泉総理でなく、二階氏が「観光立国政策」の推進者で、総理は単に氏の意見を追認しただけです。顕示欲の強い氏らしい自慢話ですが、経緯が分かりますのでそのまま読みました。
「現在は、自民党観光特別委員会委員長として、中国の団体観光ビザ発給対象地域拡大や、」「国際修学旅行の推進に取り組んでいる。」「所属する政策グループ〈新しい波〉 では、シンクタンク 〈日本観光戦略研究所 〉を設立、」「各界の第一人者を招いた、百人規模の定期的な勉強会などを重ねている。」
このところ、修学旅行の行き先を中国や韓国にする、高等学校や中学校が増えました。南京事件記念館を見学したり、慰安婦たちの話を聞いたりしています。反日の嘘を何のために聞かせるのか、日教組がいまだに生徒を狂わせているのかと、ずっと疑問を抱いてきました。しかしその原因が、二階氏の活動の中にあったと分かりました。
日本への観光客を増やすためなら、南京事件でも慰安問題でも、中国・韓国の言いなりだったということになります。
氏の寄稿文はまだ半分ですが、ブログのスペースがオーバーしましたので、ここで一区切りとし、次回を急ぎます。
『観光事業というのは、よほど大きな思想をもたなければ、社会の【公賊】になるのではないか』
なるほど、司馬氏が、このような名言をはかれていたとは、知りませんでした。見直さなくてなりません。
よほど大きな思想がない人間たちが、目先の利益にくらんで、闇雲に走り出すから、とんでもないことになります。「武漢コロナ」の蔓延だって、キッカケは、危機感のない人間たちの失敗からです。
失敗の原因追及だけは、やらなくてなりません。
「悪い奴ほどよく眠る」・・黒澤明の映画がありましたが、失敗の原因を作りながら、枕を高くしている者たちを、許してはなりますまい。
そうですか。多少長くとも、我慢できますか。有難い励ましです。気を取り直し、頑張りましょう。
長い御文章でもいいですよ。本当にたいせつなことを、無駄無くお書きになっておられますから、、、
引用された発言の中で『人、モノ、情報の流れが加速し、、うんぬん』という言葉がありましたが、、、、、
こういう趣旨の言葉は政治家や企業経営者がよく使う言葉ですが、言う人によれば、非常に軽薄な印象がします。
国境を越えた『人、モノの流れ』が好ましいとは限りません。
前回ブログで引用されていた、国土交通大臣の訓示の中で、
観光庁職員は『旅行者の目線で、、、、』とか言ってましたが、そこには『地元の生活者の視点』 が、
全くありません。
観光客が大勢来日してから、『観光公害』が、新聞テレビで取り沙汰されるようになりました。
観光「客?」が、ゴミを道路にポイ捨てしたり、
京都の舞妓さんを追いかけ回したり、農地に無断で入り込むなど傍若無人な振る舞いが目立つてきたわけです。
---でも、こういう苦情を観光庁に言っても、おそらく黙殺されるでしょう。
昔、司馬遼太郎さんが、
『観光事業というのは、よほど大きな思想をもたなければ、社会の【公賊】になるのではないか』
と、言っておられました。
司馬さんは、壮年時代から御逝去直前まで、『街道をゆく』という歴史紀行文を執筆しておられ、
日本の内外を行脚しておられましたが、
おそらく、そのおりに低俗な観光施設を見聞して、そう思われたのでしょう。
---けだし、そのとおりになっております。、、まさに特定の観光政策者は【公賊(国賊)】になりつつあります。
●それから、
むやみやたらに、新奇な外国語を連発するのも、軽薄と言うしかないですね。
(その人の語彙の貧弱さを露呈しているだけです)
企業などでも、カタカナ語をみだりに使う人もいます。
『需要』と言えばいいのに、『ニ-ズ』と言ったり、
『営業の商談完了・契約締結』のことを、『クロ-ジング』と言ったり
『品質管理』のことを『QC(クォリティーコントロール)』と言ったりします。
私もこういう言い方は好きではありませんが、
ただし、企業の場合は『業界の部内用語』として定着しており、やむを得ない場合もあります。
しかし、国民のすべてに、説明しなければならない政治家・官僚が、みだりにカタカナ語を乱用したらダメですね。